Small Talk 2

旅の記録 + ちょこっと日常のあれこれ を綴ります

鹿児島ミニ旅行(その2) 知覧特攻平和会館編 

2016/06/11
Sat. 17:59

【鹿児島ミニ旅行(その2) 知覧特攻平和会館編】


tokko1.jpg tokko2.jpg武家屋敷群の散策後、知覧特攻会館へ。
バスの時間まで40分以上あり、観光案内所で聞いたところ、およそ約2キロ程度の距離だというので、歩いていくことに。
平和会館が近づくと、通りにはたくさんの灯ろうが立っていた。それらには、特攻兵と思われるパイロットが模られていて(←)、この時点でなんだか胸がいっぱいになってしまった。
tokko3.jpg
大通りから会館へ入る道には、知覧の武家屋敷庭園を模した公園があり、「乙女の祈り」という平和の像も置かれていた(→)。

さて、なぜこんな武家屋敷庭園が残り、「薩摩の小京都」とも呼ばれる知覧の地に、特攻基地があったのか・・・
はじまりは、昭和16年に福岡県の大刀洗陸軍飛行学校の分校、つまり、陸軍(※)パイロット養成学校の一部として、飛行場が造られたことにさかのぼる。やがて大東亜戦争の戦況が悪化した最終局面において、沖縄に最も近い陸軍基地として特攻隊に利用されることとなった。
※ Kamikazeは海軍の特別攻撃隊。海軍と競っていた陸軍も特攻隊をもっており、ここ知覧の特攻は陸軍のもの。
沖縄戦で特攻戦死された1036名の隊員のうち、半数近くの439名がここ知覧から出撃したとのこと。

こちらは、特攻勇士の像、「とこしえに」という名がつけられていた。
特攻機として使われた、一式戦闘機「隼(はやぶさ)」の実物大レプリカ。石原慎太郎が制作総指揮・脚本を手がけ、2007年に公開された映画『俺は、君のためにこそ死にいく』のために再現されたものとのこと。特攻機は、片方の翼の下に爆弾を、その反対の翼の下に燃料タンク(もちろん片道分の燃料のみ)を積み、直掩機(護衛機。戦果確認や戦訓を持ち帰る任務ももっていた)とともに飛び立っていったのだという。
tokko4.jpg tokko5.jpg

こちらは、特攻隊員が出撃までの数日を過ごした、三角兵舎と呼ばれる建物。敵の目をかいくぐるため、半地下になっている。
三角兵舎での隊員の様子は、多数写真が残っていて、寄せ書きを書いたり、腕相撲をしたり、女学生から送られたお守りを分け合ったりなどしていたようだが、深夜には、布団をかぶり声を殺して泣いている隊員も少なくなかったとのこと。
tokko6.jpg tokko7.jpg

tokko8.jpg tokko9.jpg

平和会館内は、写真撮影禁止。
まず、入ってすぐのところに、大破した戦闘機(隼)から特攻隊員が6人の天女に召されたところを描いた、『知覧鎮魂の 賦』という絵があり、とても印象に残った。
館内には、特攻隊員の遺品が数多く展示されていたけれど、圧巻はやはり、特攻隊員の最後の手紙
幼い子供のためにカタカナで書いた父親の手紙、「お母さん」と呼べなかった継母にあてた手紙など、家族へ、特に母親への手紙が多く、涙がとまらなかった。陸軍飛行学校を卒業してすぐにパイロットとなった少年飛行兵は、最も若い少年だと17歳。ワタクシの甥っ子と同じ年ごろだと思うと、彼らは本当にどんな気持ちだったのだろう・・・
館内では、彼ら特攻隊員は、自分は死んでも後に残る日本人が、きっと国を繁栄させてくれると信じていた、その思いもあり戦後日本は発展できたのだ、という解説がなされていたけれど、それは残されたワタクシたちが、そう思わなければ辛くてこの特攻という非人道的極まりない作戦を受け止めることができなかったからではないのか。

平和な世に、国に、生まれたことに感謝しつつ。
スポンサーサイト

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

この記事に対するコメント

page top

コメントの投稿

Secret

page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://small2talk2.blog13.fc2.com/tb.php/841-a34d3483
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

page top

2017-04