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旅の記録 + ちょこっと日常のあれこれ を綴ります

グアテマラほか中米旅行:4日目 

2015/04/28
Tue. 22:54

【グアテマラほか中米旅行 : 4日目】
(グアテマラ・シティ → コパン(ホンジュラス) → リオ・オンド)


朝の7時にグアテマラ・シティを出発、バスに乗って一路、本日の観光地ホンジュラスのコパンへ。
gtml4-1.jpgかなり距離があることに加え、あまり整備されていない道路を走るところもあり、2度のトイレ休憩を挟んで約5時間かかってようやくホンジュラスの国境に到着。ホンジュラスからグアテマラの入国はユルユルで、ワタクシたち団体客はバスの中からパスポートと税関申告書をガイドさんに渡すだけで済んでしまった(ホンジュラスはコパンの観光のみ、当日入国・当日出国だから簡易的な手続きで良いのかもしれない)。

国境から40分ほど走り、コパン遺跡の玄関口、コパン・ルイナスという小さな町に到着。
朝食後、バスに乗ること以外何もしていないけれど、昼食をいただく。メニューは、ホンジュラス風のバーベキュー、ビーフ、チキンと野菜の串焼きピンチョス(→)だった。

コパンは7~8世紀に最も栄えたマヤの大都市
現在わかっているマヤの都市遺跡では最南端に位置し、マヤ文明の南東地域の政治・経済・文化の中心地だったと言われている。
そうそう、マヤの歴史は、現在の学説では先古典期(紀元前2500年~紀元後250年)、古典期(250年~900年ごろ)、後古典期(900年ごろ~1500年ごろ)の3つの時代に分類されていて、このコパン、明日以降に訪れるキリグアやティカルも、古典期の代表的な都市。
gtml4-2.jpg快晴の今日は、ぐんぐん気温が上がり、外の気温は約38℃、体感温度は約40℃!!!
ということで、暑さを避けるべく、コパン遺跡の観光は石彫博物館からスタート。
博物館に入ると、まず目に飛び込んでくるのは、原寸大で復元されたロサリラ神殿(←)。
ロサリラ神殿は、426年に創設されたコパン王朝の初代国王、ヤッシュ・クック・モのために造られたとされる。現在は西広場の東側にある神殿16に埋まったままで、この地には古い時代の神殿が何層にも重なっていることが発見されているのだとか。他のマヤ遺跡同様、神殿や石碑など建造物は、すべて神聖な色、赤で彩色されていたとされる。

神殿16の近くにあった、石碑P(↓左)と、祭壇Q(↓右)。
この祭壇Qは、コパン王朝の歴代の16人の王の名前と姿が彫られている有名な祭壇。すでに衰退していた16代の王が自らの正統性を示すために造ったものとされている。
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gtml4-5.jpggtml4-6.jpg博物館には遺跡から出土されたさまざまな石彫が展示されている。
左はトウモロコシの神様の像、その隣はオルメカ文明の影響を受けたことがわかる頭部の像。

↓は、寝台兼(?)玉座。
その隣のものも別の玉座の一部なのだけれど、現地ガイド曰く、この石彫にあるように、マヤの身分の高い人たちの間では”寄り目・出っ歯・平らな額”が美しい顔であるとされていて、幼い頃にこのような顔になるよう、鼻先に何かをぶら下げてわざと寄り目にしたり、額を平らにつぶしたり、ということがなされていたのだという。


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gtml4-9.jpg博物館を見学した後は、いよいよ猛暑の中、遺跡の観光。
入口にはこのような地図があり、コパン遺跡の全体像がわかるようになっている。

1 : グランプラザ
2 : 球戯場
3 : 神聖文字の階段
4 : ジャガーの広場(東広場)
5 : ジャガーの神殿
6 : ロサリラ神殿(が埋まっているところ)
7 : 西広場
8 : ラス・セプルトゥーラス

ワタクシたちは、この地図の順番とは逆回りで観光した。
こちら(↓左)は、ロサリラ神殿が埋まっているとされている西広場と神殿16
そのお隣(↓右)は、ラス・セプルトゥーラスと呼ばれる貴族たちの住居跡。通常、マヤの家屋の屋根は茅葺きであったが、ここには石造りの屋根の建物もあったのだという。
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こちら(↓左)は、ジャガーの広場と呼ばれる東広場。
この広場には一般庶民は入ることが許されず、王や貴族たちが集まる場所だったとのこと。
広場の西側に、このような(↓右)、まるで踊っているようなジャガーの石彫が残っている。なんかちょっと、ユルキャラっぽいジャガーに見えるのはワタクシだけ?!
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gtml4-14.jpgこちら(←)はコパンのハイライト、神聖文字の階段
この神聖文字の階段は、コパンの最盛期の王、第13代のワシャクラフン・ウバフ・カウィル王、通称”18ウサギ”が造り、第15代の王が追加したもので、2000を超えるブロック1つに1つのマヤ文字(象形文字)で、コパン王朝の王朝史が描かれていたのだとか。とはいえ、この階段を組み立て直した時代にはマヤ文字の解読が進んでいなかったため、デタラメに並べ替えられてしまい、王朝史の全貌解明はできていない。

この第13代の王である”18ウサギ”は、王朝の最盛期に君臨した王であり、この神聖文字の階段のほか、ここコパン遺跡に残る球戯場やその他の石碑なども大半が彼の時代に造られたものなのだが、725年、当時コパンの配下にあったキリグアに敗れ、斬首されるという非業の死を遂げている。キリグアに敗れた後、コパンは急速に衰退し、他の古典期に栄えたマヤ文明の諸都市と同様、9世紀には滅びてしまったとのこと。

こちら(↓左)は、マヤ古典期の遺跡の中で最も美しいと言われる球戯場の跡。
マヤの球技はスポーツというよりも儀式の一つで、5人1組で重いボールを高い位置にあるマーカーに当てることを競ったもの。この場所にあるマーカーはレプリカで、オリジナルは石彫博物館内に保管、展示されていた(↓右)。
敗者(勝者との説もある)は生贄にされたとも言われている。
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こちらの石碑の前にある丸い石は、生贄を奉げるための祭壇(↓左)。上部のくぼみに心臓が置かれ、血が溝を流れ落ちたのだという。
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球戯場の向こうに広がっているのは、グラン・プラザと呼ばれる広場。ここにはたくさんの石碑(ステラ)が点在しており、そのうちの一つ、石碑B(↑右)は非常に凝った装飾がされていた。

gtml4-19.jpgグラン・プラザからは遺跡の出入口に向かう途中には、カラフルなコンゴウインコがたくさん飼育されていた(←)。
コンゴウインコは、その赤が太陽を、青が金星を、黄が月を表す神聖な鳥としてマヤ文字にも刻まれており、いにしえよりこの地の人々との関係が深かったことがうかがわれる。

以上でコパン遺跡の観光は終了。
ワタクシたちが訪れた4月末は乾季の終わりで、1年で最も気温が上がる時期でもあり、観光するには暑すぎた・・・(現地ガイドいわく、気温が上がりきる前の午前中がオススメとのこと)。

17時前にコパンを出発、再びあまり整備されていない道を走ること2時間強、宿泊先のホテルのあるグアテマラのリオ・オンドという国道沿いの町(村?)に到着。
移動の長い、長~い1日でした。

今回のツアーは、ずーっと通しで1人のドライバーさんが運転しっぱなし。大変だっただろうなぁ、どうもありがとう♪
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