Small Talk 2

旅の記録 + ちょこっと日常のあれこれ を綴ります

【南アフリカ4か国周遊旅行 : 3日目 ロベン島とケープタウン】


3日目は、ネルソン・マンデラ氏が収容されていた刑務所としてよく知られる、ロベン島へ。
ケープタウンの沖合約14kmのところにあるこの島は、古くはハンセン病患者の隔離先として、アパルトヘイト時代は黒人の政治犯専用の刑務所として使われていたが、アパルトヘイトが終わり、現在は島ごと博物館になっている。

ケープタウンのウォーターフロントから出ている船で、いざ、出発。
港からは、テーブルクロスのかかったテーブルマウンテンがきれいに見えた(↓左)。晴天の青空のもとのテーブルマウンテンもいいけど、クロスがかかっているのもなかなかステキ。
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船の乗り場には、マンデラ氏やロベン島にまつわる資料が展示されていたのだけれど(↓右)、乗船時刻がせまっていたこと、ツアーでの団体行動だったこともあり、ゆっくり読むことができず、ちょっぴり残念だった。

ロベン島までは高速船だと約30分で着くらしいのだけれど、我々が乗ったのは、“Susan Kruger(スーザン・クルーガー)”という、刑務所だった頃には実際に囚人やその面会に訪れた人々を乗せた船(↓左)。この船だと50分程度かかるのだけれど、多少時間がかかっても、多少揺れても(酔い止め飲んどいた)、この船で往復できてヨカッタと思う。
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sa3-5.jpg船上からも、クロスのかかった美しいテーブルマウンテンが見えた(↑右)。

ロベン島に到着。
この島(博物館)は、自由に見学・観光することはできず、必ずガイド(博物館の英語ガイド。刑務所の建物内のガイドは、過去にここに収容されていた人がガイドになっている)の付いたツアーに参加しなければならないとのことで、我々は、まずバスに乗って島内を巡り(1時間ほどの車窓からの見学)、その後、刑務所の建物内を見学するという流れで、ここを見学することになった。

島内には囚人たちのほか、看守ら刑務所で働く人たちとその家族も生活していたので、島内には墓地、モスク、
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教会、学校などがあった。この教会、現在でも機能していて、ここで結婚式を挙げるカップルもいるのだとか(ガイドの説明によれば、2014年になって10数組がここで結婚式を挙げたらしい)。
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sa3-11.jpgこちらは、囚人たちが就労させられていた石灰の採掘場(←)。
照りつける太陽の下での、ここでの労働は相当に酷だったものと思われる。特に、サングラスの着用など許されなかったため、目を悪くした、失明した囚人(あくまでも当時の扱い。アパルトヘイトに反対した政治犯なので、今の価値観でいえば、何も悪いことはしていないので、正確に言えば収容者)が少なくなかったのだという。ただ、ここでは複数の人が同時に働いていたので、その機会を利用して、字を学んだり(教えたり)、情報を交換したり、などということも行われていたのだという。


島内一周バスの旅(?)の後は、刑務所として使われていた建物内の見学。
ガイドは、自分がアパルトヘイト反対の政治活動に参加することになったきっかけ、子どもの頃に母親のお使いでパイとコーラを買い行ったら、店主に裏口に回れと言われ、裏口に回ったら注文を取らないままお金を払わされ、パイとコーラではなくパンと薄いミルクが出てきた、という理不尽な目に遭った、その悔しさが原点になった、というようなことを話してくれた。
↓右は、囚人たちが収容されていた部屋。ベッドがあるが、これは赤十字が視察にやってくることをきっかけに用意されたものなのだとか(このほか、赤十字の要請(?)により、食事が改善されたり、サッカー場(運動場)が刑務所内につくられたりしたのだとか)。
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こちら(↓左)は、ネルソン・マンデラ氏が日記を書いていた場所として知られる刑務所内の畑。そのお隣(↓右)が、マンデラ氏の収容されていた独房。もちろん、自分だったら耐えられないとも思うけれど、ただアウシュビッツを訪れたことのあるワタクシとしては、ここなら窓もあるし、まだマシかも・・・などとも思ってしまった。アウシュビッツの過酷さが改めて思い起こされた、と言った方がより適切か。
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アパルトヘイトが政策として確立されたとされているのが1948年、より激化したのは1960年代から。
1980年代後半、先進国が経済制裁を行うなか、最大の貿易相手国として日本人は有色人種ながらアパルトヘイト下でも“名誉白人”として扱われていた(ちなみに、南ア国内の中華レストランの料理人も名誉白人だったらしい、そうしないと白人が中華料理を食べられないから!)、国際社会はそんな日本を批判していたとのことだけれど、よくよく考えれば、公民権運動だって、その当時からほんの20年ほど前のこと。
時代の流れはどんどん早くなっていて、批判される側がする側に回る切り替わりの早さに文句をつける気はないけれど、20年やそこらでこれだけ変わっているものがあるのに、我が国と隣国の問題は、どうしてここまで長引いてしまったのだろう・・・そんなことも、ちょっと考えてみたりした。


刑務所内の見学後は、ケープタウンに戻り、ケープタウン近郊のワイナリー内レストランで昼食。
ワイナリー内のレストランなのだけれど、出てきたメイン(↓右)はなぜか(?)マレー風(南アに、マレー料理がある理由はコチラ)。
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残念なことに、こちらのワイナリーで試飲したワインは、どれも「これ!」といった決め手はなく・・・
ということで、ここでは南アのビール“CASTLE”を紹介(↓左)。こちらもこれといった特徴のあるビールではなかったけれど、ツアーメンバー(の一部、特にひとり参加の同世代女性陣)がけっこう飲んだので、今回の旅ではビールのオーダー率がかなり高かった
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その後は、ケープタウンのウォーターフロント(↑右)エリアでのショッピング・タイム。
スーパーマーケットがあったので、ルイボスティーやら、アマルーラ(南アの甘いリキュール)入りのチョコレートなどの土産を調達。アマルーラ入りのチョコレートは、まったく同じ商品を免税店のほぼ半額の値段で買うことができたけれど、ルイボスティーは免税店のほうが、お土産らしい、パッケージが凝っていて見栄えのするものが豊富にそろっていた。

sa3-20.jpg夕食後、ケープタウンの夜景を見に、シグナル・ヒル(ライオンズ・ランプ)へ。
高い建物があるわけではないけれども、半島の地形が複雑なので、なかなか美しい夜景だった(香港の夜景の美しさでなく、函館とか長崎と似た感じ)。
折しもスーパームーンの前夜で、お月様もとっても大きく明るかった。

4日目に続く。
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