Small Talk 2

旅の記録 + ちょこっと日常のあれこれ を綴ります

【3日目(その2):アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所】


【3日目(その1)】の続き

psh-3-2-1.jpg10時35分クラクフバスターミナル発のバスに乗り、アウシュビッツへ。
こちら(←)が、アウシュビッツ・ビルケナウ メモリアル&ミュージアムの入口。
たくさんの見学者たちが訪れており、統計上、ヨーロッパの若い世代の割合がもっとも高いとのこと。教育機関としての位置づけもあり、ドイツの学生たちが、夏にここでボランティアをすることも珍しくないという。

今回は、唯一の日本人公認ガイド、中谷剛氏にガイドをお願いした。ゴールデンウィークということもあり、参加者は20名近くいた。

psh-3-2-2.jpg見学は、収容所の入口、『ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)』の文字が掲げられたゲートからスタート。強制労働者たちは毎日、この門をくぐって近郊の工場へ働きに出て、帰ってきていたのだ。近郊には、ドイツを代表する大企業の工場もあったという。

ガス室で使われたチクロンBという劇薬の缶。
殺虫剤として使用するとして、あくまでも合法的に発注・納品されていた。
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psh-3-2-5.jpgpsh-3-2-6.jpg犠牲となった人々の鞄や靴。
鞄には氏名も住所も書かれているが、一家全員が死亡するなどして、戦後も持ち主に返ることはなかった。
鞄や靴の他、メガネ、義足・義手なども大量に展示されていた。
ユダヤ人だけでなく、身体的に障害のある人々も、“優れているアーリア(ドイツ)人”より劣るとされ、『絶滅計画』の対象となっており、この強制収容所に送られていた。

写真撮影は禁止されていた、囚人たちから刈り取った髪の毛が大量に展示されている部屋があり、そこに入ると寒気と吐き気がしてしまった。身体は正直に何かを感じ取ったのだろう。。。

この髪の毛は、織って布地にして建材として使用したのだという。この布地も、「建材用布 ○メートル」と数字にされ、義歯などから取った金や銀も、「金 ○グラム」と数字にされて、正式な書面がついて出荷されていたという説明があった。出荷されていたということは、誰かが発注していたということでもある。
ここでの労働、出来事が、戦時下の経済活動の中に組み入れられていたということを改めて思い知らされた。

囚人の日々の食事(↓左)。労働力として殺さぬようにカロリー計算がされていたとのこと。
ただ、特権階級の囚人たち(主に“カポ”と呼ばれた囚人頭たち)が横取りしたりして、この食事も十分には行き渡らなかったという。
この、囚人の中からカポを選び、囚人に囚人の管理をさせたということも、この強制収容所を有効に機能させた仕組みの一つだった。一部の者に特権を与え、団結力を弱めることに成功したのだ。

アウシュビッツの強制収容所では、「10人に1人を生かしておく」という考え方でシステムづくりがされていたとの説明があった。実際、この過酷な状況を乗り越え生き延びた人たちは少なからずいたわけだけれども、それらの中には特権を持っていた、自らも他の囚人に辛く当たっていた“カポ”も多く含まれているので、彼らが戦争が終わってもここでの体験を語る心情にはなれない、というのも十分に理解できる。

ここに送られてきた囚人たち(※囚人と言ってもナチスに抵抗した政治犯、ユダヤ人などを言う)は、当初は写真を撮られ(↓右)、番号を割り当てられ、「政治犯」「ユダヤ人」ソ連の捕虜」「同性愛者」などカテゴリー分けがなされて囚人服にはカテゴリー別のワッペンが付けられた。
女性の囚人の写真も展示されており、大多数の女性は髪を刈られているのだけれど、一部長い髪の人もいて不思議に思っていると、その女性たちもいわば“特権階級”の囚人であった、とのこと。
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死の壁(↓左)。ここで数千人にも及ぶ囚人たちが銃殺されたという。毎日、献花が絶えない。
焼却炉とガス室(↓右)。
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焼却炉、ガス室の近くには、ここの所長だったルドルフ・ヘスの処刑に使われた絞首台が残されていた。
その絞首台の向こうに、ヘスが住んでいた住居が見えた。ここで何が行われているかを知っていて、ここに住んでいたというのは信じがたいものがあるが、精神的に何かの機能が麻痺していないと、そもそもできないことのように思われ、そういう状態でなら、近くに住むことができたのかもしれない、とも思い直した。

バスに乗って、少し離れたところにある第二強制収容所、ビルケナウへ。
ビルケナウは、収容者増に対応するために建設された、いわば一つの町。最も多い時期には、約10万人の人々が収容されていたという。
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psh-3-2-14.jpgここで参加者から、「広大な敷地ですが、東京ドーム何個分ですか?」との質問があり、「聞かれて調べたことはあるんですが忘れました。この場所の性質上、東京ドーム何個分と例えるのは、なじまないように思うのです」との回答だった(ちなみに、wikiによれば、東京ドーム37個分らしい。東京であれば新宿区の約10分の1弱)

各国から連行されてきたユダヤ人、ロマなどはここで列車から降り、一列に並んで医師に一瞥されただけで、「働ける」か「働けない」の仕分けをされ、「働けない」と判断された人はそのままガス室に送られたという。

psh-3-2-17.jpgこちらは、すべての犠牲者を悼む国際追悼記念碑
この国際追悼記念碑の近くには、20か国にも及ぶ各国の追悼碑も並んでいた。
イスラエルのもの(推察だけれども、青と白のリボンがかかっていて、ヘブライ文字のような文字が書いてあった)は、花や小石がたくさん捧げられていた。


こちらは、当時のガス室を再現したイラストと、現在の姿
ソ連軍により解放される前、ドイツが証拠隠滅のため爆破したのだという。
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こちらはレンガ造りのバラック。囚人たちが暮らしていたところ。レンガ造りとはいえ、冬場は相当に冷え込んだという。ストーブもあったが、数は限られており、とても全体に熱が行き渡るようなものではなかった。
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戦況が厳しくなってからは、木造のバラックが造られた。
これらバラックの建設には、ソ連軍の捕虜、そしてアウシュビッツの強制労働者たちが従事したという。
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中谷さんのガイドによる見学は、ここビルケナウで終了。

訪れる前には、「直視できないかも」とも思っていたけれど、実際に見て感じたのは、「しっかり記憶にとどめておきたい」「なぜこのようなことが起こったのか、きちんと考え、決して繰り返さないために自分が何ができるかを考えたい」ということ。
第一次世界大戦に敗けたドイツに、法外な賠償金を求め、ドイツを追い詰めてしまったこと、
合法な選挙によって選ばれたとはいえ、連立政権という形でナチスの台頭を許してしまったこと、
これって現代、ワタクシたちが生きているこの世界でも起こりうることではないのだろうか?
積極的に賛成はしなくとも、多くの人たちが「見て見ぬふり」をした結果、このような悲劇が起こったこと、
大きなシステムの一部、歯車になることで、心のどこかが壊れてしまうこと、
壊れてしまうと、人間はこれほど残酷になれるということ。

日本から行くのは大変だけれども、もっと多くの人に訪れてもらいたい、それもやはり、若い世代の人に機会をもってもらうことが大事だと思う。


【3日目(その1)】へ戻る

= 旅する人への参考情報(すべて2013年4月29日現在)=

★クラクフのバスターミナルからアウシュビッツへのバス★


クラクフからアウシュビッツまでは、所要約90分。
ミニバスと大型バスがあり、少しだけ運賃は高いけれど、座席数が多く、アウシュビッツの入口の近くまで行ってくれる大型バスのほうがオススメ。
ミニバス内では席が足りず立っている人もいたとのこと、乗車時間を考えるとずっと立っているのは若干辛そう・・・

大型バスの情報(英語) : http://www.visitauschwitz.eu/index.php?lang=en


★公認ガイド 中谷さんの連絡先など★

http://www.e.okayama-u.ac.jp/~taguchi/hito/nakatani.htm


★アウシュビッツ・ビルケナウの日本語の資料★

『アウシュビッツ・ビルケナウ その歴史と今』 : ↓からPDFでダウンロード可
http://en.auschwitz.org/m/index.php?option=com_content&task=view&id=818&Itemid=7

『新訂増補版 アウシュヴィッツ博物館案内』日本人公式ガイドである中谷さんの著作
新訂増補版 アウシュヴィッツ博物館案内新訂増補版 アウシュヴィッツ博物館案内
(2012/08/31)
中谷 剛

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