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旅の記録 + ちょこっと日常のあれこれ を綴ります

イスラエル旅行 ~6日目~ 

2011/05/05
Thu. 23:01

【6日日 : エルサレム → エンカレム → ベツレヘム → エルサレム】


昨日同様、糞門からセキュリティチェックを受けて旧市街に入場嘆きの壁を観光。
ヘロデ王が建てた第2神殿はローマの将軍ティトスによって紀元70年に破壊されてしまったが、その神殿の西側の外壁が一部残ったもの、これが現在の嘆きの壁だ。
ずっと遡れば、紀元前965年にソロモン王が大神殿を建設し、モーゼが神から授かった石版を納めた“契約の箱”を置いた神殿を、バビロン捕囚から戻った人が再建し、それをヘロデが大規模に改修して第2神殿を建てたので、ヤハヴェの神にもっとも近いとされる場所。だからこそ、ユダヤ人にとって最も重要な聖地とされているのだ。
訪れた人は、男女分かれてお祈りする。↓の写真の奥側(向かって左)が男性、手前(向かって右)が女性。男性は頭を隠さなければならず、キッパが貸し出される。
お祈りをしている人たちは真剣そのもの。観光客がずかずか足を踏み入れてよい場所なのか、躊躇してしまうほど。
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続いて、嘆きの壁(西の壁)トンネルツアーに参加。
西の壁はアラブ人が支配していた時代にその大半が地下に埋まっていたが、1967年にユダヤ人の管理下に戻って以降発掘が行われ、このトンネルが掘られたのだという。このトンネル内でも熱心にお祈りをする人がいた。
ヘロデ王の時代の城壁のには、さらに古い時代の城壁も残っており、トンネル内には貯水槽もあった(↓右)。
教会跡など至るところに地下水路や貯水槽があり、水の少ないエルサレムでは水の確保が非常に重要だったことがよくわかる。
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旧市街を出て、新市街にある“ヤド・バシェム”へ。
ヘブライ語では“記念と記憶”という意味のこの博物館は、第2次世界大戦中にドイツナチスにより虐殺された600万人ものユダヤ人たちを忘れないために建てられたもの。庭には、“日本のシンドラー”と呼ばれる杉浦千畝さんを記念した植樹もあった(↓左)。
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博物館内には、ゲットー(強制居住地区)の様子、アウシュヴィッツをはじめ強制収容所の様子などが写真や映像で展示されていたのだけれど、ワタクシが最も考えさせられたのは、ワルシャワゲットー蜂起について。
25歳前後の若者が指導したもので、「なぜ当時のユダヤ人たちは抵抗せずに収容所に行ったのか」と疑問に思う現代のユダヤ人たちからは支持されているのだという。
他方、当時のユダヤ人たちは、「一人のドイツ人を殺すより、一人のユダヤ人を救うことのほうが大事だ」と考えていたのかもしれないな、とも思った。収容所に行けば殺されるかもしれない、ただ生きて帰れる可能性はゼロではない、であればどれだけ辛くても、その可能性にかけてみよう、そう思ったのかもしれない。

こちら(→)のポスターは、ホロコーストの犠牲者をしのぶホール・オブ・ネームズの写真が使われている。
ホロコーストの犠牲者の氏名と写真をここに持って来れば、イスラエルの市民権が付与されるとのことで、まだスペースが十分に空けてあるらしい。
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続いてはイスラエル博物館の死海写本館(↓左)へ。
この不思議な形をした建物は、死海写本発見当時、写本が入っていた壺のふたの形をもとにしたものなんだとか。館内は洞窟をイメージして照明が落とされている。
この死海写本は、1947年にクムランで、ベドウィンの少年が迷子になった羊を探しているときに洞窟に石を投げたことから偶然発見されたもの。当時最古と考えられていたアレッポの写本より1,000年以上も古い、紀元前3~2世紀に筆写されたイザヤ書や詩編等の聖典で、世界最古のヘブライ語聖典とされている。
聖書学会においては20世紀最大の発見で、一大センセーションを巻き起こしたそうな。そういえば『ダ・ヴィンチ・コード』にも出てきたっけ。
ちなみにこの死海写本とアレッポ写本、15か所しか異なるところがなく、聖典がいかに正確に伝えられてきたのかの証明にもなっているらしい。
あと、ヘブライ語は子音しか表記しない文字なので、その言葉を知らないと読めない言葉なのだが(たとえば、「トマト」は「TMT」としか書かれない。なので「トマト」という言葉を知らないと「TMT」が意味を成す言葉にならない)、アレッポの写本には母音も書かれているという。その頃には、ヘブライ語は話し言葉としてはもはや使われていなかったということなのだろう。

死海写本館の近くには、第2神殿時代のエルサレムの1/50のサイズの模型(↓右)が展示されていた。一部考古学者の夢(妄想)が入っているらしいのだけれど、かなり精巧にできていて、昨日歩いたところなどが確認できた。
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イスラエル博物館自体は、考古学館やユダヤ教&ユダヤ民族史棟、美術棟など見るべきところはもっとあったのだけれど、ワタクシたちはこの2か所のみを観光。民族史棟とかゆっくり見てみたかったなー。

6-10.jpgバスに乗り、エンカレムという町へ移動。
まず、聖母マリアがヨハネの母エリザベツに会いに来たのを記念する、マリア訪問の教会(←)を訪れた。
マリアとエリザベツは親戚で、天使ガブリエルからお告げを受けたマリアが妊婦の先輩であったエリザベツを訪ねた、ということらしい。
ナザレとエンカレムってかなり距離があると思うんだけど・・・
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次に、洗礼者ヨハネ誕生の教会を観光。
ヨハネはヨルダン川でイエスに洗礼を施した人で、キリスト教においては先駆者とされている人。もともと当時の人々はヨハネこそがメシア(救世主)だと考えていたとのこと。ヘロデの妻の娘サロメによって、断首されてしまったというのは有名な話ですね。
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またバスに乗り、ベツレヘムにある、生誕教会へ。
ここはイエスが生まれた馬小屋があったとされる場所で、ビザンチン時代にはすでに教会が建てられており、6世紀のモザイクが床の下に残っていた(↓右)。
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長い行列を並び、イエスが生まれた場所(洞窟)へ。。
そこには銀色の星型が埋め込まれた床は、触ると温かくて、なにか不思議なパワーをもらった気がした。
生誕の地ということもあり、聖墳墓教会ほどの緊張感はなく、開放感があった気がした。
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なお、ベツレヘムはパレスチナ自治区にあるため、途中、国境のようなところを通らなければならなかったのだけれど、この壁に絵が描いてあったりしたこともあり、バスの中からみなで写真を撮っていると、お役人の機嫌を損ねてしまい、バスを止められてしまうというハプニングがあった。
ワタクシはバスの後ろのほうに座っていたので事態が把握できていなかったのだけれど、怒った役人は「お前らは通さない!」と言っていたらしい。そこを、ドライバーのガブリエルさんが「僕が写真撮っていいと言ってしまった」と謝ってくれ、なんとか丸く収まったんだとか。ドライバーがユダヤ人でなくアラブ人だったら、もっと大変なことになっていたかも・・・とは事後のガイドの弁。
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6-20.jpg以上で本日の観光は終了。

この後、ダイヤモンド研磨加工のビジターセンターを訪れ、ダイヤモンドの等級の説明などを聞いた。
ワタクシは買う気はまったくなく冷やかしで行っただけなのだけれど、同じツアーに参加していた女性陣数名は購入していた。


最後に小ネタ。ベツレヘムで見つけたお茶目な看板(←)です。

明日はエルサレムを発ち、死海へ移動します。
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