Small Talk 2

旅の記録 + ちょこっと日常のあれこれ を綴ります

イスラエル旅行 ~2日目~ 

2011/05/01
Sun. 23:47

【2日日 : テルアビブ → カイザリア → メギド → アッコー → ハイファ】


テルアビブから北上し、最初の観光はカイザリアの遺跡
ローマ帝国と友好関係を築いてこの地を治めたヘロデ王が、まったく新しい港として作ったのがこのカイザリア。
キリスト教徒にとっては、パウロがローマへの宣教に発った港として重要なところ。

ワタクシたちを出迎えてくれたのは、今でもコンサートなどで使われている(日本の相撲巡業もここでやったことがあるんだとか)、ローマ式の半円形劇場
いやぁ、いかにも地中海らしい青空ではありませんか~!
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この遺跡からは“ピラトの石碑”というものが発見され(ここにあったのはレプリカなので写真は撮らず)、当時は大ニュースになったのだとか。というのも、ピラトというのはイエス・キリストに死刑を宣告したと言われるローマ総督で、その人の名が刻まれた石碑があるということはピラトが実在することが証明され、これによって、イエス・キリスト自体の存在もより明確になった、というのが理由らしい。

↓の写真中央の道みたいに見えるのは、ヘロデ王の戦車競技場の跡。でもこの競技場、あまりに海に近くて浸水することがあり、競技場としては使えなかったんだとか。
右奥のほうに見えているのは、ぐぐーっと時代が下って、十字軍時代の要塞跡。港町ということで、十字軍もここに目を付けたのでしょう。
春の花がまだ少し残っていて、海風も気持ちよく、遺跡めぐりにはサイコーの天候でした。
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カイザリアを出てバスで少し北上すると、ローマ時代の見事な水道橋が残っている。
ヘロデ王が水の少ないカイザリアに水を引くため建設したもので、カルメル山から続いているとのこと。農業用と飲料用、2本あったとのこと。
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2-5is.jpgこの後しばらくバスに乗って内陸に向かい、メギドという遺跡を訪れた。
ここは世界最終戦争“ハルマゲドン”の語源になったところ。“メギドの丘”の意味の“ハル・メギド”がなまってそう呼ばれるようになった。ここメギドは非常に古い町であり(後述)、交通の要所としていろいろな民族がぶつかり合い、戦いも多かったために、「ヨハネの黙示録」によって世界最終戦の舞台とされたのではないかと考えられている。

このメギド、紀元前4,000年ごろ、青銅器時代から町がつくられ、支配者が変わるたびに古い町が埋められその上に新しい町がつくられ、それを何度も何度も繰り返したために丘になったという。その様子を動く模型が説明してくれていた(→)。

↓の左の写真は、丘に登る階段。一番低いところにあるということは、つまり一番古い時代のもの、ということになる。およそ3,000年前のものだとのこと。
ずんずんと丘を登ると、ソロモン王時代の宮殿跡や、エズレル平野が一望できる展望台、馬舎跡などがあった。
↓の右の写真は、地下水路へのトンネル(を上から取ったところ。階段は観光用に作られたもの)。相当深くまで掘ってあったのにも驚いたけど、この水路の底に本当に水が溜まっていたのにはもっと驚いた
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メギドの観光後は再び海沿いに戻り、十字軍時代に栄えたアッコーの町を観光。
この町も港町で、古くは2,000年間から町があったとのこと。
最初に訪れたのは、12世紀にヨハネ騎士団が築いた要塞(↓左)。クラック・デ・シュバリエに比べるとずいぶん地味な印象は否めない。
その要塞に残っていたユリの紋章(↓右)は、フランス王家とのつながりを示しているのか?それとも、3枚の花びらが三位一体の象徴であり、「信頼、知恵、騎士道精神」を表すという考え方を示しているだけなのか?
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こちら(↓左)は騎士の広間。アーチ状の天井とそれを支える柱が十字軍時代っぽい。
要塞らしく、地下通路があり、左右どちらに進むかの分岐点が4か所も設けられていたとのこと。それを知らない敵が侵入しても、無事出口にたどり着ける確率は1/16になるというわけだ。↓右の写真はその通路の出口。出たところは病院の機能をもつ部屋だったという。
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要塞の観光後は、旧市街を散策。十字軍が去ってからはアラブ人が住む町となり、今のアッコーはアラブ人の町。
オスマン・トルコ時代の隊商宿(キャラバン・サライ)や現在もにぎわいを見せるスーク(市場)を観光。
スークをぶらぶらしておみやげにドライイチジクを購入。中近東ではポピュラーなハルヴァ(胡麻ペーストのお菓子)もよく売られていた。
あと、のどが渇いたこともあり、ざくろの生ジュースでのどをうるおした。しぼりたてのざくろの生ジュースが10シェケル(260円)、これは日本では考えられない安さ。
(※ちなみにイスラエルの物価はヨーロッパ並み。軍事力維持・増強のためか、日本でいうところの消費税(付加価値税)も16%と高いし・・・)

最後は港町らしい写真を一枚。遠くから見ただけだけど、灯台跡かな?
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2-14.jpgこの後海沿いを北上し、ハイファという町のホテルにチェックイン。
夕食はホテルのレストランだったのだけれど、明日5月2日が「ホロコースト記念日」であるため、ホテルではアルコールを出してくれず。ユダヤ教ではいわゆる「イヴ」、前夜を非常に重視する慣習があるとのこと。

幸いホテルの前にコンビニのようなスーパーがあり、ビールを買うことができたので、部屋で乾杯する。1本10シェケル也。
あんまり美味しいビールではなかったけれど、一応、イスラエルに入ってからの“最初の晩餐”でしたから(笑)。

食事の話が出たので、ユダヤ教の食餌規定“コシェル”について紹介。
もともとユダヤ教では“清い動物”と”そうでない動物”を区別する考え方があり、次のようなルールがある。

・ 4つ足の獣のうち蹄が全く分かれ、反芻をするものは食べてもよい。 (ブタはダメ!!!)
・ 海や川に住む生き物で、鱗のないものは食べてはならない。 (エビやカニ、貝類もダメ!!!)
・ 猛禽類の鳥は食べてはならない。
・ 乳製品と肉類を一緒に食べてはならない。 (チーズバーガーとか、サラミの入ったピザとか問題外!!!)
・ 肉は血抜きをしなければならない。
・ 自然に死んだ動物を食べてはならない。


この中で一番影響があったのは、「乳製品と肉類を一緒に食べてはならない」というもの。
ホテルの朝食バッフェがどんなにゴージャスで充実していても、牛乳、チーズやヨーグルトが必ず出るから、ベーコンやハムがまったく並んでいない・・・その代わりに、塩漬けにした魚とか出てるけど、それじゃぁねぇ・・・

ガイド曰く、ユダヤ教徒は、黒い帽子、黒いスーツを身に着けひげともみあげを伸ばしている“正統派”、キッパ(頭に乗せる小さな帽子)をかぶり食餌規定、割礼、安息日の3つは必ず守る“保守派”とその他の“世俗派”の3グループがあり、このコシェルを守っているのは“正統派”と“保守派”の2グループだそう。


明日、ナザレやカナなど、聖書、イエス・キリストにまつわる諸教会を訪ねます。
この日の夜は、教会がいっぱいで全部覚えられそうにないなぁ・・・という一抹の不安を覚えながら、深い深い眠りについたのでした。
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