Small Talk 2

旅の記録 + ちょこっと日常のあれこれ を綴ります

イラン旅行 ~3日目(その1)~ 

2010/05/01
Sat. 20:19

【3日目: イスファハン】


今日3日目は、終日イスファハンの観光。
イスファハンは、昔は野営地を意味する“セパハン”と呼ばれていた(今でもイスファハンのサッカークラブチームの名前として残っている)古い町。
1597年にサファヴィー朝のシャー(王)アッバース1世(在位1588-1629)がこの地を首都と定め、計画的な街づくりを進めた結果、飛躍的に発展。イマーム広場、33(スィー・オ・セ)橋やバザールなどもこの頃にでき、ヨーロッパからの旅人が、“イスファハンは世界の半分”と賞賛したというのは有名な話で、遠く離れた極東の日本の世界史の教科書にも出てくるほど。

イスファハンの一番の見どころは、イマーム広場(イスラーム革命前は“シャー(王)の広場”と呼ばれていた)、別名“全世界の図”
なので実際に観光した順でなく、この“”3日目(その1)”の日記では、イマーム広場周についてまとめて書き、次は“3日目(その2)”に記したいと思う。

このイマーム広場は、縦510m、横163mの長方形の広場で、広場を囲って、ペルシア美術の傑作であるマスジェデ・イマーム(革命前は“マスジェデ・シャー”)、マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー、アリカプ(アーリー・ガープー)宮殿などがあり、回廊部分にはみやげもの屋が並んでいる。
広場は、緑豊かな公園になっており、観光客向けに馬車が走っていたりした。
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まず最初は、広場の正面にある壮麗なマスジェド(モスク/寺院)は、マスジェデ・イマーム(イマーム・モスク)。
エイヴァーン(※)の見事なムカルナス(鍾乳石飾り)にうっとり何時間見ていても飽きないわ~。

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※エイヴァーンとは:ガイドの説明によると、ペルシャ建築に見られるドームを支える部分のこと。中庭を囲むように4つあることが多く、そのうち1つはたいてい入口(門)になっている。エイヴァーンは、ムカルナス(鍾乳石飾り)で飾られることも多い。

実はこの美しいエイヴァーンは装飾にすぎず、この門をくぐったところにある短い回廊を抜けると、メッカの方向を向いた本物のエイヴァーンが現れる。
下の左の写真は、広場の正面にあるクルミの木でできた扉を撮影したもの、その隣の写真は、門をくぐって本物のエイヴァーンを正面から撮ったもの。光の加減で、斜め45度ずれているのがわかるでしょ?
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この本物のエイヴァーンの奥にある礼拝堂の装飾もとても美しかった。
さらにこの礼拝堂のドームは、2重構造になっており、音が反響するように造られている。ドーム中央の真下の床に四角い床石が埋められていて、これを踏み鳴らすと音が反響するのが実感できた。
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礼拝堂の左右には、マドラセ(神学校)の夏の学舎(正面向かって右側。写真左。)と冬の学舎(正面向かって左側。写真右。)がある。
このマドラセの中庭から礼拝堂のドームを見ると、ドームが頭、ミナーレ(尖塔)が両手で、お祈りをしているようにも見える。しかも、ミナーレには、預言者ムハンマド、初代イマームのアリー、ムハンマドの娘でアリーの妻であるファーティメ、アリーとファーティメの息子で第2代ハサン、同じくアリーとファーティメの息子で第3代イマームのホセインを表しているという5本の指のようなものも付いている。
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ちなみに、この写真ではわかりにくいけど、夏は唐草模様、冬は幾何学模様と装飾タイルの模様が違っおり、凝っているなぁ・・・と感心した。

次に、マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーへ。
アッバース1世の命によりレバノンからやってきた説教師シェイフ・ロトゥフォッラーを迎えるために造られたもので、アッバース1世は後に彼の娘と結婚する。
その妃の趣味(?)なのか、ここのドームの色は、ブルーでなくベージュ!!!
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王族だけが使うマスジェドなのでこじんまりとしており、中庭もなくエイヴァーンも正面入口の1つのみ。
礼拝堂の中のモザイクタイルもベージュというか、黄色系の色が多くて、他のモスクとは雰囲気が違った。
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ドームの天井も同様にベージュ・黄色系の色が多様されている。孔雀のように見える模様、太陽の光りが採光窓から入ると尾のように見えるという仕掛け。
このマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーは、全体的にとても細かく丁寧な仕事がされていて、マスジェデ・イマームに負けず劣らず素晴らしかった。
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続いて、アリカプ(アーリー・ガープー)宮殿へ。
この宮殿は、1~2階はアッバース1世の時代に、3~7階はアッバース2世の時代に作られた、イランで最初の高層建築。
正面にはユーモラスと言ってもいい雰囲気の人の顔が描かれていた。この旅行中たくさん見たペルシャ絨毯も、動物や人物が織り込まれているものが多く、イスラムでは偶像崇拝につながるのでタブーとされる人や動物が、ペルシャ芸術では問題ないというのがちょっと不思議だった。

iran2010-3-12.jpg iran2010-3-13.jpg
少し話が逸れるけど、この顔を見て、サマルカンドのレギスタン広場にあるシェルドル・メドレセのを思い出した。
で、調べてみたら、レギスタン広場にある3つのメドレセのうち、ティムールの孫のウルグベクが造ったウルグベク・メドレセは15世紀前半のものだけれど、残りの2つは17世紀半ばに造られていたものだと判明。
このイマーム広場を手本にしたんだー!とわかって、なんだかちょっと嬉しくなった。

iran2010-3-14.jpg話を元に戻して、アリカプ宮殿。

テラスの天井は木の柱で支えられているのだけれど、かなり劣化しており修復中。
ガイド曰く、現代のイランの技術ではこの木造建築をうまく修復できないらしい。


テラスからは広場が一望できた(写真は、マスジェデ・イマームの向かい側を撮ったもの。奥の門の先はバザールで、そのバザールはマスジェデ・ジャーメへ続いている)。
アッバース1世はこのテラスからポロ競技を観戦して楽しんだのだという。
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急な階段をえっちらおっちら上り、最上階に到着すると、そこは音楽堂。
天井部分の穴は、楽器の音が変に交じらないよう工夫されて作られているとのこと。穴の形も楽器になっていて、とても可愛らしい♪

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広場を出て、次に向かったのは、40柱宮殿(チェヘル・ソトゥーン庭園)
“40柱宮殿”という名前だけれど、実際の柱の数は20本。柱が池に映って40本に見えたため。
迎賓館として使われていた建物で、アッバース1世の時代には庭園がアリカプ宮殿まで繋がっていたとのこと。

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迎賓館の中は博物館になっていて、サファヴィー朝の栄華を称える6枚の絵画がある(6枚のうち1枚は修復中で見えず)。
そのうちの1枚は、インドとの戦いの絵(↓)。この戦いで勝利して得た宝石類が、テヘランにある宝石博物館(今回の旅行では、残念ながら休館日にあたってしまい、宝石博物館には行けなかった)に展示されているとのこと。
このインドとの戦いの絵には白い象が、トルコとの戦いの絵には鉄砲が描かれていたのが興味深かった。
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以上でイマーム広場周辺の観光は終了。


観光後、回廊部分にあるみやげもの屋をうろうろする。
ペルシャ絨毯(ウール、シルク)、らくだの骨でできた小箱、象嵌細工の箱、エナメルの工芸品、
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ペルシャ更紗(木綿の文様染め)などがメジャーなみやげもの。
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近くのレストランで夕食を取り、広場に戻ってみると、ライトアップされた幻想的なマスジェデ・イマームに、再びうっとり
当時はライトアップなんてされていなかっただろうけど、“イスファハンは世界の半分”と言ったヨーロッパの旅人の気持ちがよくわかりました!
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