Small Talk 2

旅の記録 + ちょこっと日常のあれこれ を綴ります

トルクメニスタン旅行:8日目+最終日+食事編 

2016/05/07
Sat. 22:17

【トルクメニスタン旅行:8日目+最終日+食事編】
(アシガバード → デリー → 成田)


デリーには、翌朝6時半ごろ到着(やはり、フライトが遅れた・・・)
t-day8-1.jpg深夜便で、さらに今日の日本への帰国も深夜便というハードスケジュール(?)ゆえ、着後はホテルで休憩。
機内食を食べなかったワタクシは、ホテルで朝食を摂ったあと、オプショナル・ツアーで申し込んでいたアーユルヴェーダ体験へ。

日本にも進出している、Kairali Ayurvedic Centre(→。カイラリ・アーユルヴェディック・センター)で、アビヤンガという全身マッサージ+シロダーラのコース(合計100分)を受けてリラックス。
マッサージは2人がかりで、左右同時に息を合わせてやってくれるので、スピーディー。
最後のハーブたっぷりのスチームバスがとっても気持ちがよかった。
あと、施術後に出てきたハーブティーは、ジンジャーが強くてぴりりと辛く、カラダがとても温まった。デリーは今、一年で一番暑い時期だったけど・・・

アーユルヴェーダの後は、ホテルでのーんびり休憩。
ホテルの近くにショッピングモールがあったので、ふらふら散歩してみたけれど、めぼしいものは見つからず。スパイスとか買っても、どうせ使い切らないし。

深夜1時25分発のデリー発、NH828便で成田へ。さすがANA、定刻で飛んでくれて一安心。
今回の旅も、メンバーにも恵まれ、天気もそこそこ良く、期待以上に楽しい旅となりました。
次はどこへ行こうかなー!



【トルクメニスタンでの食事】
我々が”外国人観光客”であり、それなりのレストランに通されたせいもあるのだろうけれど、ロシア料理っぽいものが多かった。

左から、ビーツとジャガイモのサラダボルシチ、中央はポテトサラダとトマトスープ、フライドチキンとプロフと呼ばれるピラフ(これはウズベキスタンなどでも食べられる中央アジア料理)、
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プロフと、サワークリームをつけて食べる中央アジアの餃子(ラビオリともいう?)マントゥ
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カスピ海でとれた白身魚のソテー(赤いのはパプリカか何かで色付けされているだけ)、皮をパリッと焼いたチキン料理。
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デザートはアイスクリームが多かった。バザールで調達した、キャンプ地で食べたメロンも甘くて美味しかった(ただし、旬ではないのでメロンはけっこういいお値段だった)。

トルクメニスタンで料理を期待はしていなかったので、まあ、こんなものでしょう。
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トルクメニスタン旅行:7日目 

2016/05/06
Fri. 22:15

【トルクメニスタン旅行:7日目】
ヤンギカラ → バルカナバード → アシガバード)


朝日を見ようと張り切って起きたものの、かなりガスっていて期待薄(↓)。
ただ、(写真には全然きれいに写らなかったけど)、雲海が出てこれまた神秘的だった。
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t-day7-4.jpgピンク色の部分が少ないところ。
この下には岩がゴロゴロしていて、浸食されてできた地形ということが感じられた。
IMG_7485.jpgヤンギカラらしい、不思議な光景。
t-day7-3.jpgカザフスタンのウスチュルト台地にも、太古の海テチス海の海底が隆起してできた奇観があり、そちらのほうは真っ白でヤンギカラより規模が大きいらしいのだけれど、このピンク色の部分は少ないらしい。
t-day7-5.jpgシマシマがキレイ。

今回の旅行の最大のハイライトは、ワタクシにとっては、地獄の門ではなく、断然、こちらのヤンギカラ!

map.gif今回の旅行のハイライトの話をしたので、地図を使って今回の旅行をおさらい(←)。
往路は、アシガバードからトルクメンバシまで飛行機を使ったけれど、帰路はヤンギカラからアシガバードまで、車で移動。
いやぁ、7時間以上のドライブ、ドライバーさんお疲れ様でした!!!

こちらの像(→)は、アシガバード近郊にあった、砂漠を探検する人々をたたえた像。
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アシガバードに戻り、ホテルで夕食をとり、少し休憩してから空港へ。
こちら(↓)はホテルから見た、ライトアップされたアシガバード市内の様子。市内、特に官公庁街は写真撮影禁止のところが多いので、この夜景ショットはかなり貴重かも?!
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本を開いた形をしている大学(↓左。車窓から撮影)の建物と、深夜のバス停(↓右)。深夜のバス停は誰もいないのに、設定温度18℃のエアコンがガンガン効いていて、冷蔵庫なみの寒さだった。さすが、資源大国、こんな無駄遣いも許される?
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t-day7-10.jpg大統領も、電飾でキラキラ!?こちらも車窓から撮影。
空港へ向かう途中、車窓観光できるようちょっと回り道をしてもらったのだけれど、用もないのに官公庁街を外国人観光客を乗せて走ったことが見つかったら怒られるらしく、ドキドキしていたらしい。

深夜1時55分発のトルクメニスタン航空で、再びデリーへ。
これでトルクメニスタンともお別れ。
もう二度と来ることはないと思うけど(笑)、地獄の門もヤンギカラも見応えがあって、充実した旅となりました

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トルクメニスタン旅行:6日目 

2016/05/05
Thu. 21:30

【トルクメニスタン旅行:6日目】
トルクメンバシ → ヤンギカラ


朝食後、出発まで時間があったので、トルクメンバシのホテル周辺を散策。ホテルの入り口には、どどーんと現職大統領グルバングル・ベルディムハメドフ氏(←この名前、何度言われても覚えられない)の肖像画が!

ホテルからカスピ海まではすぐ。
湖畔には、魚釣りをしている人がちらほら。
少年が、「これ釣れたよ!」と誇らしげに見せてくれた。釣れていたのは、とっても可愛らしいハゼに似た魚だった。

この日トルクメンバシでは、スポーツ・コンサート?フェスティバル?というものが開催されていたようで、中学生らしき団体がたくさん歩いていた。彼らも日本人が珍しいのか、写真を一緒に撮ろうと声をかけてきたのだが、それが先生に見つかり怒られていた・・・女子生徒が写真に写ることを良しとしない考え方があるようだった。
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今日も野外でのテント泊なので、夕食の食材を調達しに、バザール(↓左)へ。
このバザールの近くのアパートを見ると、パラボラアンテナがずらりと並んでいて笑ってしまった。ひとつはロシアの、もうひとつはトルコの衛星放送を見るためのもので、一家に2台アンテナが付いているらしい。
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t-day6-6.jpgトルクメンバシを出発してしばらくすると、墓地のある丘の上に「鎮魂」と日本語の書かれた記念碑が立っていた。
第二次世界大戦後、ソ連の捕虜として拘留されていた日本兵を悼んでのもので、
『望郷の念をいだきつつ ここカスピ海をのぞむカラクム砂漠に 抑留死した兵士たちよ
あなたちとともに 永遠の平和をねがひ
日本とトルクメニスタンとの 友好のかけ橋ならんことを誓う
1995年5月 日本人墓地建設委員会 クラスノボトスク望郷の丘』

との言葉も添えられていた。2002年にここトルクメンバシに埋葬されていた旧日本兵の遺骨は、靖国神社に移送されたとのこと。添乗員が用意してくれた献花をして、しばし黙とう。


この後は、ひたすらひたすら車を走らせる。
途中、路線バス(↓左)とすれ違い、こんなところにまでバスが走っているの???と驚いたのだが、近くに「石油の町」と呼ばれる町があり、トルクメンバシとその町との間には路線バスも走っているらしい。
2時間ほど走ったところで、遠くに本日の目的地、ヤンギカラの石灰岩の白い地形が少し見えてきた!!!(↓右)。
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トイレ休憩(もちろん青空です)でストップしたところにいた陸ガメ(↓左)と、砂漠の花(↓右)。ズームで撮ったら、蜜を吸いに来ていた?ハチもしっかり写りこんでいた。
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t-day6-12.jpg遠くに見えるヤンギカラを望遠で撮影中のワタクシ(←)。
20倍レンズで撮ったのが、この下の写真。
t-day6-13.jpgヤンギカラは、太古の昔は海底だったところが隆起して台地となり、浸食された部分に見える白とピンク色の縞模様の地層が特徴的な渓谷。白は石灰岩、ピンク色はヨウ素を含んだ岩なのだという。

車でこの台地?テーブルマウンテンの上まで上がることができ、そこが本日のキャンプ地となる。
t-day6-14.jpg雄大な地形が広がります。
t-day6-15.jpg度胸試し?のスポット。
見ているほうが怖かったらしい。
t-day6-17.jpgこのヤンギカラが最も美しく見えるのは、夕日のあたる時間帯といわれている。
ちょっと雲が多く、夕日の光は弱かったけれども、夕焼けはとてもキレイで幻想的な景色が広がった。
t-day6-18.jpgまさに絶景。
自然の色彩の豊かさにも驚かされました。
t-day6-19.jpg夜は少し雲が減ったので、星空とその撮影会。
といっても、ワタクシのコンデジでは北斗七星を撮るのがやっとだったけれど。

夕食は、ドライバーさんたちが作ってくれた温かいボルシチ(ならぬトマトスープ)。
カラダもあったまり、テント内でもぐっすり眠れました。

ヤンギカラは明日もじっくり堪能します。


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トルクメニスタン旅行:5日目 

2016/05/04
Wed. 19:05

【トルクメニスタン旅行:5日目】
ダルワザ(地獄の門) → アシガバード
 → トルクメンバシ)


日の出の時間にあわせて起床。
まずは近くの小高い丘に登り、地獄の門(ガスクレーター)の様子を見て(↓左)から、日の出を待ってみた(↓右)。
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t-day5-2.jpgこちらは日の出前の様子。空が少し明るくなって雲がピンク色に焼けて、キレイだったなー。
写真に凝っている人とも話していたけれど、ぴーかんのお天気よりも、多少雲があるほうが、空も絵になるからいいよね、と。

テントを撤収し、アシガバードへ戻る。
途中、風紋の写真ストップ(↓左)。とはいえ、ここカラクム砂漠は砂砂漠というよりは、草が生えているところも多かった。ちなみにこの風紋、数日前に雨が降ったようで、風が吹いても流れず、すっかり固まってしまっていた(そのおかげで、埃っぽくなくて観光しているワタクシたちは助かった)。

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t-day5-6.jpg休憩をとっていると、遠くに長い長い貨物列車が見えた(↑右)。なかなか絵になる風景。

町が近くなり、舗装された道路のそばの砂漠には、葦のような草が格子状に植えられている。
これは、この葦が風よけになって背の低い草の成長を促し、その草が風で砂が流れることを防ぎ、結果として、道路が砂で埋まることを防ぐための方策で、中国などでもよく見られるものなんだとか。

アシガバードに戻り(↓左。車窓から、またもや不思議なモニュメント発見)、ギョクテペという町にある、300年以上続く歴史あるアハルテケの飼育所を訪れた。

t-day5-12.jpgt-day5-11.jpgアハルテケというのは、トルクメニスタンが誇る名馬で、漢の武帝もこれを求めて西域に攻めていったという汗血馬の子孫ともいわれる馬。トルクメニスタンの国章にも使われており(←)、さらに「Ministry of Horses(馬省)」という国の役所もあるとのこと(ちなみに、同じくトルクメニスタンの名産を司る「Ministry of Carpet(絨毯省)」という役所もあるらしい。

アハルテケは、非常にタフで、水なしで砂漠を駆け抜けることができるらしい。
外見的な特徴としては、足、首が細く、毛は短いが、シルクのようになめらかであることが挙げられる。確かに、光の加減によってはシルクのように光沢があり、黄金に輝いているようにも見えた(↓右)。
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青い目の白馬(↓左。ものすごく高い値段が付くらしい)、生後7日の子馬(↓右)なども、見せてくれた。
鬣(たてがみ)は邪魔になるので、カットしているとのこと。
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トルクメンの遊牧民にとって、馬は家族も同然で、朝起きて挨拶する順番は、家長である父親に次いで2番目なのだとか。

ちなみに、このギョクテペという町は、19世紀後半からのロシアの南下政策、中央アジア征服戦争が完結した「ギョクテペの戦い(1880年)」があった町としても知られているらしい。

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t-day5-15.jpg再びアシガバードに戻り、初代大統領ニヤゾフが故郷のキプチャク村に造った、中央アジア最大のモスク、魂のモスク(↑左)を訪れた。
一見、豪華ではあるがふつうのモスクに見えるこちら、実は、本家本元のイスラム教徒が見たら激怒(?)するかもしれないもの=コーランではなく、ニヤゾフが記した『ルーフナーマ』の一説=が刻まれている(↑右)。
このモスクに隣接して、ニヤゾフ廟が建てられている(←)。

ニヤゾフは数字にこだわりをもっていたとのことで、このモスクの数字にもいろいろな蘊蓄があり、たとえば、
・ 最も高いミナレットの高さは、トルクメニスタンが独立した1991年にちなんで、91メートル
・ 窓の数は、大地震の起こった1948年にちなんで、48か所
・ 塔の高さは、大地震の起こった年(1948年)からこのモスクの完成予定(2003年)までにちなんで、55メートル
などなど。



ここで、サパルムラ・ニヤゾフについて少し紹介。
1940年にキプチャク村で生まれたニヤゾフは、1942年に父を第二次大戦で亡くし(ドイツ軍と戦い戦死)、1948年の大地震(当時の人口の3人に一人に相当する16~18万人が犠牲になった)で母、兄を亡くして幼くして孤児になってしまった(その家族の棺(中身は空)がこのニヤゾフ廟には納められている)。
成績優秀で、レニングラード工科大学を卒業、水力発電の電気技師として働いていた。
1984年にゴルバチョフ書記長に見いだされて出世、トルクメニスタンの政治家トップとなり、旧ソ連崩壊後に国民投票によりトルクメン共和国の大統領に選出され、個人崇拝をベースとした独裁政権を樹立。
豊富な天然ガスで豊かな国を作ることを掲げ、ロシアと距離を置くべく「永世中立国」を宣言、電気・ガス・水道代をほぼ無料にするなどの人気取り政策をおこなったり、大好物のメロンの日を祝日(8月の第2日曜日)に制定したり、男性の長髪を見苦しいと禁止したり、トルクメンの女性と外国男性が結婚するときには外国人男性に高額の国に税金(?)を納めさせたり、などなどの珍政策も多数実施。
2006年に死去するまで大統領職にあり、アシガバードの市内には、数十メートルおきにニヤゾフの肖像画や銅像が設置されていた。



この後、国内線でカスピ海沿岸の町、トルクメンバシへ移動。
アシガバードの空港で、トルクメンバシで仕事(プラント建設?)をしているという日本人エンジニア2名に遭遇。こういう国での仕事は、大変だろうなぁ・・・。

明日は、この旅のもう一つのハイライト、ヤンギカラへ向かいます!

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トルクメニスタン旅行:4日目 

2016/05/03
Tue. 16:51

【トルクメニスタン旅行:4日目】
(アシガバード → ダルワザ(地獄の門)


本日の朝は比較的ゆっくり。アシガバードの宿泊先から歩いて行けるショッピングエリア(?)には、なんと、道端(?)にATMを発見(↓左。手前は不思議な形をした公衆電話ボックス)。やっぱり、みんなお金に困ってないと、治安も良いということなんだろうな。
バザール付近でアクセサリー類を売っている女性も。手前に写っている丸いものは、小学生用の帽子なのだとか。
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ロシアンバザールをさらっと観光(撮影禁止で写真なし)、ドライフルーツの味見をしたり、ビールを調達したりしている間に、ドライバーさんたちは本日のキャンプ地での夕食の食材を調達。荷物を積み込み、いざ、四駆で、地獄の門へ。
13人のツアー参加者+添乗員+現地ガイド1名が6台に分乗、さらにスタッフのみが乗る先行/後行車1台、計7台で出発です
アシガバードの中心地から少し走ると、緑色の新築の分譲住宅がずらり。
さらに走ると、道は舗装されているものの、周囲にはなーんにもない(たまに家畜の牛や羊がいたけど)平野をひたすら走った。
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お昼休憩に立ち寄ったところで、中央アジアの移動住居、ユルトを見学させてもらう。モンゴルでのゲル、中国でのパオ、みたいなものですね。砂漠に棲むサソリは、羊の臭いが嫌いらしく(サソリには、羊の群れに踏みつぶされたDNAが残っているらしい)、羊毛のじゅうたんが敷かれるのが一般的なのだという。
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近くでは手際よく、女性陣が揚げパン(?)と作っていた。生地を薄くのばして三角に切って、さっと揚げるだけのシンプルなものだったけれど、しっとりしていてなかなか美味しかった。
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t-day4-9.jpgt-day4-10.jpgこちらのお母さん(←)、なんと自分が生んだ子どもが10人、孫が4人もいるのだという(孫のほうが、末息子よりも年上)。
お祝い(結婚式)の時に羽織るものを見せてくれたり、髪の毛のまとめ方を見せてくれたり、サービス精神旺盛だった(もちろん、チップを払っているのだろうけれど)。


t-day4-11.jpgしばらく走って、水のクレーター(←)に到着。
手前に白く浮かんでいるのは、残念なことに、ペットボトルのゴミ。風に吹かれて遠くからも飛んできているようだ。
t-day4-12.jpgこちらは、泥のクレーター(←)。
近づくと硫黄の臭いがして、少しだけ炎が出ているところもあった。こちらはガスの自然発火だと思われる。


さて、とうとう地獄の門(Door to the Hell)に到着!
今日はこの地獄の門のすぐ近くで、キャンプ泊(↓右)♪テントは一人1つ、ドライバーさんたちは車の中で眠ります。
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t-day4-15.jpg昼間の地獄の門。
この炎をあげて燃え続けるガスクレーターは、諸説あるらしいのだけれど、天然ガスのボーリング調査時の落盤事故でクレーターができ、有毒ガス(メタン)が発生し続けるため、燃やして処理しようとして火をつけたのが始まりという説が有力以降、40年以上もその炎は燃え続けているのだという。
t-day4-16.jpg地獄の門の夕景。
近くにある小さな丘に登ると、このガスクレーターを上から見ることもできるのだけれど、ちょっと距離があるので、迫力は半減。

夕暮れの景観を楽しんだのち、バーベキューの夕食。テント泊といっても、ドライバーさんたちが全部準備して、片づけてくれるので、とっても楽ちん♪半年前にエチオピアのエルタ・アレに行ったときも思ったけれど、こういう”上げ膳据え膳キャンプ、クセになりそうだー。

すっかり暗くなってから、再び、クレーターの近くへ。暗闇にぽっかり浮かぶクレーターは、ちょっと異様でもあった。
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t-day4-20.jpgエチオピアのエルタ・アレとは違って、ほとんど歩くことなく車で来れるし、人工的なものといえば人工的なものなのだし、マグマに比べると炎の動きの変化も小さいので、正直なところ、感動の度合いはやっぱりエルタ・アレのほうが上だったけど、それでも、十分に楽しめた。

安全用の柵などはないので、けっこう近くまで寄ることができ、写真撮影はこちらの地獄の門のほうが、いろいろ試したりできて面白いかな。

パノラマでも撮影。
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動画でも撮影。

炎って、ずーっと見ていても飽きないなぁ、と。
人は本能的に火に恐れをいだきつつも、この火を扱うことで文明を発展させてきたという一面もあるので、コントロールされている炎を見ることで、むしろ安心感を得ることができるのかもしれない。火を崇拝したゾロアスター教が生まれた理由も、そういう人間の本能?にあったのかもしれないなどと思った。

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トルクメニスタン旅行:3日目 

2016/05/02
Mon. 13:52

【トルクメニスタン旅行:3日目】
(マリー → マルグッシュ遺跡 → メルブ遺跡 → アシガバード)


マリーのホテルを出発、マルグッシュ遺跡に向かう途中、石窯で焼いたナンやサモサ(?)を売っている露店付近でちょこっと休憩。
焼きたてのナンを味見させてもらったら、アツアツでとっても美味しかった~。しょぼい(失礼)ホテルの朝食よりも、ここで朝ごはんを食べたほうがよかったと思ったくらい。ナンを焼いていた女性たちから、一緒に写真を撮ってほしいとリクエストされ、一枚パチリ。トルクメニスタンの女性は、民族衣装を着ている人が多かった。
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2時間半ほど走って、マルグッシュ遺跡に到着。
ここマルグッシュ遺跡は、紀元前3,000年から紀元前1,000年ごろに栄えた古代都市で、世界最古の文明を持ったとされるメソポタミアの民が移住してきたのが始まりとされている。まだ発掘・研究があまり進んでいないが、いわゆる「四大文明」に匹敵する高い文明があったと考えられている、とガイドが説明してくれた。
こちら(↓左)は漆喰の跡、その隣(↓右)は、土器を焼いたかまどの跡
かまどの跡は、大小さまざま、この遺跡の至る所から発見されていた。土が緑色に変色しているのは、高温での化学反応によるものらしい。
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こちら(↓左)は、都市の一番外側にあった城壁の跡。三角の窓は(修復されているが)、明かり取りだったと考えられている。
城壁の内側は、中央に宮殿や、ゾロアスター教の起源となった宗教観に基づく火を祭った神殿(?)があったのだとか。
こちら(↓右)は、ここで発見された土器の破片。レプリカでなく、オリジナルとのこと。このほか、水道管の跡なども見ることができた。
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城壁の外側には、いわゆるネクロポリスがあったとされ、研究の結果、独特の埋葬様式をもっていたことが明らかになっている。
ロバや、ラクダ、犬、車輪(青銅部分はレプリカ)などが埋葬されているところ(↓)が発見されていて、見学できるようになっていた。
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t-day3-10.jpg以上でマルグッシュ遺跡の観光は終了。

車での移動途中、旧ソ連時代に造られたバス停(←)で、写真ストップ。
19世紀に生まれたトルクメニスタンの偉大な詩人、マグトゥムグリがデザインされている。
トルクメニスタン独立後、旧ソ連の英雄(?)がデザインされたバス停は次々と壊されてしまったけれど、このマグトゥムグリはトルクメニスタンの英雄だったこともあり、今でも残されているのだとか。
ちなみに、トルクメニスタンの諸都市で、2番目に大事な通りは「マグトゥムグリ通り」と名付けられていることが多いのだという(最も大事な通りは、「ニヤゾフ通り」)。

さて、メルブ遺跡に到着。
ここメルブは、紀元前6世紀ごろ(この時期に、マルグッシュ遺跡の近くを流れていた川の流れが変わり、都市がここに移ってきたとも考えられている)、アケメネス朝ペルシャ支配下のオアシス都市として発展して以降、13世紀初めにチンギス・ハーンによって滅ぼされるまでの間、人々が暮らしていた中央アジア最大の都市遺跡。世界遺産にも登録されている。

最も古い紀元前6世紀ごろの都市は、エルク・カラと呼ばれ、今は小山のようになっている(↓左)。トロイに代表される、過去の都市の上に新しい都市が築かれるスタイルではなく、このメルブは、過去の都市に隣接したところに新たな都市が築かれたのだという。
エルク・カラの後、紀元前2世紀から紀元後3世紀ごろのパルティアの時代に栄えた都市は、ギャウル・カラと呼ばれていて、ここからは仏塔や仏像が発見されていることから、メルブは仏教伝搬の最西端地であったとも考えられているのだとか。
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↑右は、メルブ遺跡のシンボル、大ギズ・カラ
少女の砦(要塞)という意味のこの巨大な建物は、以前の研究ではイスラム教伝搬前のものと考えられていたが、今はイスラム後にできたものではと、学説が分かれているらしい。
残念ながら、ここ大ギズ・カラは修復中で中に入ることはできなかった

t-day3-13.jpgこちら(←)は、メルブが最も栄えたといわれる、セルジューク朝時代(11~12世紀)に造られた、スルタン・サンジャル廟
外壁を飾っていた青いタイルはすべて失われてしまってはいるけれど、廟そのものはオリジナルのもの。
内部は修復されていて、これがオリジナルそのものなのかどうかはわからないけれど、かなりシンプルな装飾だった。

マルグッシュ遺跡は我々のグループのみの「貸し切り」状態だったけれど、さすがにここメルブは他にも観光客がいて、写真を一緒に撮ろうと話しかけられることも。


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以上で本日の観光は終了。マリーの町へ戻り、再び国内線でアシガバードへ。
明日はいよいよ、この旅のハイライトのひとつ、地獄の門を訪れます!

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トルクメニスタン旅行:2日目 

2016/05/01
Sun. 20:32

【トルクメニスタン旅行:2日目】
(デリー(インド) → アシガバード → マリー)


デリーの国際航空は、搭乗3時間前に来ることが求められているらしく、早朝5時には空港へ。空港内のフードコート(屋内なのに鳩が飛んでいた!)で朝食をとり、いざ、ゲートへ。
定刻から約1時間遅れ(遅れた理由は、トルクメニスタンの大統領が出国のため空港を閉鎖したから)、デリーから搭乗したのは、トルクメニスタン航空の、首都アシガバード行きの直行便。トルクメニスタン航空なんて大丈夫か?!と思ったけれど、トルクメニスタンは天然ガスの埋蔵量が世界第4位のリッチな国。なので、機体も新しいし、パイロットもヨーロッパでトレーニングを受けているのだという。

さて、さきほどトルクメニスタンは天然資源に恵まれた国と書いたけれど、ワタクシたち日本人には、”中央アジアの北朝鮮”というキャッチフレーズ(?)のほうが有名。お金持ちの国なので、その点は全然違うけど、2代にわたって(とはいえ世襲ではない)個人崇拝に基づいた独裁国家が安定的に続いている国というのが共通点。
現大統領は、初代のニヤゾフ大統領(詳細は5日目のエントリへ)の死後、大統領代行を経て就任した、グルバングル・ベルディムハメドフ大統領。航空機内にもしっかりと、肖像画が飾られていた(↓左)し、新聞の1面は(何が書いてあるかはさっぱりわからないけど)「本日の大統領」だった(↓右)。
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フライト時間はおよそ4時間。途中、アフガニスタン上空のバーバー山脈(たぶん?)がキレイに見え(↓左)、着陸直前には、屋根の色が緑の街並みを見ることもできた。砂漠の都市は、上からみたら豊かに見える、緑の屋根を好むのかなぁ???(←旧ソ連ならそういう発想しそう、という推察)。
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アシガバードに無事到着。
領事が一時帰国するため、日本(東京)のビザが取れなかったので、空港にて取得。こういう国なのでビザを取るのも面倒で、トルクメニスタンの入国管理局に申請し招聘状を発行してもらう必要がある(もちろん、旅行会社に手配は依頼)。
入国審査はほとんど質問もなく素通りだったのだけれど、税関のところで荷物を開けされられている人多数・・・。かなり時間がかかってしまった(が、我々日本人は、あの紅いパスポートの威力のおかげか、誰も引っかからなかった)。

t-day2-6.jpg空港から、昼食のレストランへ直行。
車窓から、少し市内観光をしたのだけれど、このアシガバードは、「世界一、大理石でできた建物が多い都市」として、ギネスブックにも登録されているほどで、とにかく白い建物が多い!!!ちなみに、この大理石はイタリアなどヨーロッパから輸入しているもので、トルクメニスタン産のものではないらしい。官公庁の建物のみならず、ショッピングモールや市民(といっても、所得の高い市民)の住むアパートすらも、大理石というから驚き(←)。

とはいえ、通った場所が官公庁街でもあり、メーデーだからか単なる日曜日だったからか、とにかく町中に人が歩いていないし車の数も少なくて寂しい感じがした。


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昼食後に向かったのは、国立博物館(↓左)。
内部の写真撮影に50マナト(1米ドル=3.5~4マナト。約30円)もかかるこの博物館(なので写真は撮らなかった)、1998年に建てられたもの。
この博物館の見どころは、世界で3番目に大きい絨毯(1番と2番はアシガバードの絨毯博物館にあるとのこと。遊牧民の国トルクメニスタンにとって、絨毯はとても大事なもの)と、40以上もある立派なリュトン(角杯)。ガイドが付いて、メルブ遺跡からの出土品などについて説明してくれたけれども、前大統領ニヤゾフ氏に関連する展示室には立ち入りが許されなかった。

続いて訪れたのは、独立記念塔(↓右)。
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建設途中のスタジアムとモノレール(↓)。天然資源で得たキャッシュがこういうところに使われているのでしょうか。
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t-day2-12.jpg↑は、独立10周年を記念して建てられたモニュメントトルクメニスタンが誇る名馬アハルテケ(汗血馬の子孫といわれる。詳しくは、5日目の日記へ)が10頭並んだ形になっている。

これにて、本日の観光は終了。
少し早い夕食をとり(トルクメニスタンのビールで乾杯。イスラム教の国ではあるけれど、戒律は緩いようだ)、空港へ。
夕方発の国内線で、本日の宿泊地、マリーへ(またまた飛行機は遅れていた)。

明日は、世界遺産メルブを観光予定です。

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2016-05