Small Talk 2

旅の記録 + ちょこっと日常のあれこれ を綴ります

【4日目:クラクフ → ザコパネ → ポプラド → レヴォチャ】


本日4日目のハイライトは、ポーランド最南部、スロバキアとの国境に広がるタトリ山地のふもとのリゾート地、ザコパネ

psh-4-2.jpgクラクフからザコパネまでは、バスでも電車でも行けるけれど、バスの方が本数が多くて便利そうだったので、バスで行くことに。
昨日も利用したクラクフのバスターミナル、トラムの停留所からけっこう歩く、しかも階段の上り下りも多いとわかったので、スーツケースを持っての移動はちょっと面倒だと思い、贅沢にも(?)ホテルからはタクシーを利用した。

クラクフからザコパネまで、バスで約2時間半。車窓からは、木造建築のかわいらしい家がたくさん見えた。

ザコパネのバスターミナルに到着。ここにはスーツケースも入る大きなコインロッカーがあって助かった。
バスターミナルを出て右手に歩いていくと、かわいらしいツーリスト・インフォメーションを発見(→)。

さらに歩いていくと、ザコパネの繁華街クルプフキ通りに到着。
冬はスキー、夏は登山やハイキングなどのリゾート地、日本でいうと“軽井沢”に例えられるザコパネは、たくさんの人で賑わっていた(↓)。
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ケーブルカーの駅の手前の広場に広がる、チーズ屋さん。
ここザコパネはスモークチーズが有名で、俵型、松ぼっくり型、黄金色のもの、白いもの、色も形もさまざまなチーズが売られている。味見をさせてくれるので、味見して気に入ったものを買うことができる。
全体的に塩気が強かったけれど、スモークされたヤギと牛の乳のミックスチーズなどは、なかなか美味しかった(ビールにピッタリの味)。
食べきりサイズのチーズで1個1zl(35円程度)、握りこぶし大の俵型のもので8~10zl程度。
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ケーブルカーの駅(↓)へ向かい、ケーブルカーに乗ってグバウフカ山へ。
あっという間に頂上(?)に到着。繁華街に負けず劣らず多くの観光客、みやげもの屋で賑わっていた。
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psh-4-9.jpgグバウフカ山からの眺め(←)。
日差しが出てきたので、みんな日向ぼっこしてました~。


ケーブルカーを下り、少し歩いたところにあったザコパネ・スタイル建築で建てられた旧木造教会(↓)。
この地方で最初に建てられた教会とのこと。愛らしい外観に、気分もほっこり。
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こちら(↓)は、旧木造教会の隣にある旧墓地の入り口と中の様子。
墓地といってもまったくおどろおどろしい雰囲気はなく、きちんと手入れされていて、お花が咲いて清々しい場所だった。
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しかも、お墓の形がそれぞれユニークで、木特有のぬくもりもあってか、故人への愛情がたっぷり詰まったお墓のように思われ、なんだかやさしい気分になれた。
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チーズの試食であまり空腹を感じなかったけれど、気温が上がってきたのでアイスクリームをいただく。さらに散策で小腹がすいたので、クルトゥーシュカラーチ(Kürtőskalács) というポーランド名物(?)のくるくる巻きの甘いパンを食べた・・・完全に野菜不足です・・・
あと、くだらないけれど、繁華街で偽キティを発見し、思わず写真を撮ってしまった(↑右)。
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psh-4-20.jpg午前中は曇がちだったけれど、午後になると日差しが強く、晴れてきた。
空と、山脈の尾根に残る白い雪がまぶしい。

ザコパネ散策した後、1日2本のみ(夏季は増便される)のバスに乗り、スロバキア側のポプラド(Poprad)という町へ。
ポプラドまでは約2時間、終点ということもあり安心していられたので爆睡・・・ただ、時間は長いけれどローカルバスなので、荷物はバス内に自分で持って入らないといけないので、その点は注意が必要だったかも(結果として何もなかったので良しとしよう)。

ポプラドからレヴォチャまでは、バスで約30分。


明るいうちにレヴォチャに到着できたので、少し町を散策(と言っても教会も博物館もすべて閉まっていたので、ふらふら散歩したのみ)。
そのときに撮った写真は、【5日目(その2)】で紹介します~。




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【3日目(その2):アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所】


【3日目(その1)】の続き

psh-3-2-1.jpg10時35分クラクフバスターミナル発のバスに乗り、アウシュビッツへ。
こちら(←)が、アウシュビッツ・ビルケナウ メモリアル&ミュージアムの入口。
たくさんの見学者たちが訪れており、統計上、ヨーロッパの若い世代の割合がもっとも高いとのこと。教育機関としての位置づけもあり、ドイツの学生たちが、夏にここでボランティアをすることも珍しくないという。

今回は、唯一の日本人公認ガイド、中谷剛氏にガイドをお願いした。ゴールデンウィークということもあり、参加者は20名近くいた。

psh-3-2-2.jpg見学は、収容所の入口、『ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)』の文字が掲げられたゲートからスタート。強制労働者たちは毎日、この門をくぐって近郊の工場へ働きに出て、帰ってきていたのだ。近郊には、ドイツを代表する大企業の工場もあったという。

ガス室で使われたチクロンBという劇薬の缶。
殺虫剤として使用するとして、あくまでも合法的に発注・納品されていた。
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psh-3-2-5.jpgpsh-3-2-6.jpg犠牲となった人々の鞄や靴。
鞄には氏名も住所も書かれているが、一家全員が死亡するなどして、戦後も持ち主に返ることはなかった。
鞄や靴の他、メガネ、義足・義手なども大量に展示されていた。
ユダヤ人だけでなく、身体的に障害のある人々も、“優れているアーリア(ドイツ)人”より劣るとされ、『絶滅計画』の対象となっており、この強制収容所に送られていた。

写真撮影は禁止されていた、囚人たちから刈り取った髪の毛が大量に展示されている部屋があり、そこに入ると寒気と吐き気がしてしまった。身体は正直に何かを感じ取ったのだろう。。。

この髪の毛は、織って布地にして建材として使用したのだという。この布地も、「建材用布 ○メートル」と数字にされ、義歯などから取った金や銀も、「金 ○グラム」と数字にされて、正式な書面がついて出荷されていたという説明があった。出荷されていたということは、誰かが発注していたということでもある。
ここでの労働、出来事が、戦時下の経済活動の中に組み入れられていたということを改めて思い知らされた。

囚人の日々の食事(↓左)。労働力として殺さぬようにカロリー計算がされていたとのこと。
ただ、特権階級の囚人たち(主に“カポ”と呼ばれた囚人頭たち)が横取りしたりして、この食事も十分には行き渡らなかったという。
この、囚人の中からカポを選び、囚人に囚人の管理をさせたということも、この強制収容所を有効に機能させた仕組みの一つだった。一部の者に特権を与え、団結力を弱めることに成功したのだ。

アウシュビッツの強制収容所では、「10人に1人を生かしておく」という考え方でシステムづくりがされていたとの説明があった。実際、この過酷な状況を乗り越え生き延びた人たちは少なからずいたわけだけれども、それらの中には特権を持っていた、自らも他の囚人に辛く当たっていた“カポ”も多く含まれているので、彼らが戦争が終わってもここでの体験を語る心情にはなれない、というのも十分に理解できる。

ここに送られてきた囚人たち(※囚人と言ってもナチスに抵抗した政治犯、ユダヤ人などを言う)は、当初は写真を撮られ(↓右)、番号を割り当てられ、「政治犯」「ユダヤ人」ソ連の捕虜」「同性愛者」などカテゴリー分けがなされて囚人服にはカテゴリー別のワッペンが付けられた。
女性の囚人の写真も展示されており、大多数の女性は髪を刈られているのだけれど、一部長い髪の人もいて不思議に思っていると、その女性たちもいわば“特権階級”の囚人であった、とのこと。
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死の壁(↓左)。ここで数千人にも及ぶ囚人たちが銃殺されたという。毎日、献花が絶えない。
焼却炉とガス室(↓右)。
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焼却炉、ガス室の近くには、ここの所長だったルドルフ・ヘスの処刑に使われた絞首台が残されていた。
その絞首台の向こうに、ヘスが住んでいた住居が見えた。ここで何が行われているかを知っていて、ここに住んでいたというのは信じがたいものがあるが、精神的に何かの機能が麻痺していないと、そもそもできないことのように思われ、そういう状態でなら、近くに住むことができたのかもしれない、とも思い直した。

バスに乗って、少し離れたところにある第二強制収容所、ビルケナウへ。
ビルケナウは、収容者増に対応するために建設された、いわば一つの町。最も多い時期には、約10万人の人々が収容されていたという。
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psh-3-2-14.jpgここで参加者から、「広大な敷地ですが、東京ドーム何個分ですか?」との質問があり、「聞かれて調べたことはあるんですが忘れました。この場所の性質上、東京ドーム何個分と例えるのは、なじまないように思うのです」との回答だった(ちなみに、wikiによれば、東京ドーム37個分らしい。東京であれば新宿区の約10分の1弱)

各国から連行されてきたユダヤ人、ロマなどはここで列車から降り、一列に並んで医師に一瞥されただけで、「働ける」か「働けない」の仕分けをされ、「働けない」と判断された人はそのままガス室に送られたという。

psh-3-2-17.jpgこちらは、すべての犠牲者を悼む国際追悼記念碑
この国際追悼記念碑の近くには、20か国にも及ぶ各国の追悼碑も並んでいた。
イスラエルのもの(推察だけれども、青と白のリボンがかかっていて、ヘブライ文字のような文字が書いてあった)は、花や小石がたくさん捧げられていた。


こちらは、当時のガス室を再現したイラストと、現在の姿
ソ連軍により解放される前、ドイツが証拠隠滅のため爆破したのだという。
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こちらはレンガ造りのバラック。囚人たちが暮らしていたところ。レンガ造りとはいえ、冬場は相当に冷え込んだという。ストーブもあったが、数は限られており、とても全体に熱が行き渡るようなものではなかった。
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戦況が厳しくなってからは、木造のバラックが造られた。
これらバラックの建設には、ソ連軍の捕虜、そしてアウシュビッツの強制労働者たちが従事したという。
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中谷さんのガイドによる見学は、ここビルケナウで終了。

訪れる前には、「直視できないかも」とも思っていたけれど、実際に見て感じたのは、「しっかり記憶にとどめておきたい」「なぜこのようなことが起こったのか、きちんと考え、決して繰り返さないために自分が何ができるかを考えたい」ということ。
第一次世界大戦に敗けたドイツに、法外な賠償金を求め、ドイツを追い詰めてしまったこと、
合法な選挙によって選ばれたとはいえ、連立政権という形でナチスの台頭を許してしまったこと、
これって現代、ワタクシたちが生きているこの世界でも起こりうることではないのだろうか?
積極的に賛成はしなくとも、多くの人たちが「見て見ぬふり」をした結果、このような悲劇が起こったこと、
大きなシステムの一部、歯車になることで、心のどこかが壊れてしまうこと、
壊れてしまうと、人間はこれほど残酷になれるということ。

日本から行くのは大変だけれども、もっと多くの人に訪れてもらいたい、それもやはり、若い世代の人に機会をもってもらうことが大事だと思う。


【3日目(その1)】へ戻る

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【3日目(その1):クラクフ・ヴァヴェル大聖堂など】


3日目はとっても良いお天気
朝の散歩がてら、ヴィスワ川の対岸まで歩き、ヴァヴェル城を見てみる(↓)。
観光用の船がちょっと邪魔だけれども、中世にタイムスリップしたかのような眺め。
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散歩中、日本のものらしきポスター(→)を発見。
何かと思って見てみると、日本美術・技術センター“マンガ”館のポスターだった。日本美術のコレクターであったポーランド人、フェリクス・マンガ・ヤシェンスキ氏のコレクションが主な展示品で、『灰とダイヤモンド』などで知られる映画監督アンジェイ・ワイダが日本美術のファンで、このセンターの設立に尽力したとのこと。

再び川を渡り、ヴァヴェル城へ。
大聖堂のそばにあるヴァベル城への入口の門(↓左)と、大聖堂を正面から見たところ(↓右)。
ヴァヴェル大聖堂は、14世紀から18世紀までの400年間、ワルシャワに首都が移った後も、ほとんどのポーランド国王の戴冠式を執り行った大聖堂でもあり、国王の墓所でもある
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正面からは見えないけれど、大聖堂には金色のドームを持つチャペルもあり(↓)、印象深い建物になっている。
昨日も来たけれど(【2日目(その1)】)、昨日より断然天気が良いのでより美しく見えた。
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外からゆっくり鑑賞した後は、午前9時の開場と同時に大聖堂の中へ。
最初に目に入るのは、金色に輝く祭壇、美しい細工がされた棺、壁からかかるタペストリー
どれも目を奪われるものばかり。絶対的な権力や財力がないと、こんな作品たちは生まれないだろうから、芸術家や職人たちにとっては、王家や貴族といった特権階級の人がいる社会のほうが、恵まれていたのかもしれない、などと考えてしまった。

こちらは、内部の一部(写真撮影NGと知らず撮影したもの。アップしたらマズイのかなー?)、主祭壇カジミエシュ王のサルコファガス(大理石製の装飾が施された棺)。
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16世紀に造られた鐘のあるジグムントの塔に上ると、クラクフ旧市街が見下ろせた。
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10時35分、クラクフのバスターミナル発のバスに乗らなければならないので、かなり早足の観光になってしまったけれど、大聖堂観光は終了。もっと時間があれば、オーディオガイドを使ってもよかったかなぁ・・・。

ヴァヴェル城からバスターミナルまでは、トラムに乗って行けるのだけれど、トラムは20分に1本しかなく。
20分待っても、歩いても、着く時間は変わらないような気がしたので、結局歩くことにした。
実際に行ってみてわかったのは、トラムの駅からもかなり歩かないと、鉄道駅の中を通って階段を上り下りしないと、バスターミナルには行けないこと。
明日またバスターミナルを利用するので、よい下見になった。

【3日目(その2)】へ続く


【3日目(その2)】の続き

再びクラクフに戻ると、もう19時を過ぎていて、おなかもすいていたので、
アウシュビッツの見学で一緒だった人と、カジミエシュ地区へディナーに出かけた。
カジミエシュ地区は、1335年にカジミエシュ大王がクラクフとは別の町として建設した町。ペストの猛威の中、迫害されていたユダヤ人をカジミエシュ大王は保護する政策をとり、彼の治世期間中に多くのユダヤ人がこの町に移り住み、クラクフの商工業の発展に寄与したと言われている。
それ以降第二次世界大戦まで、ユダヤ人が大多数を占める地区として栄えたが、その後は荒廃してしまった。
最近は、カフェやレストラン、バーなどオシャレなショップが増え、人気のスポットとして活気を取り戻している(↓)。
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以上で3日目は終了。
クラクフの町はもう少しゆっくりしてもいいかな、と思ったけれど、明日はスロバキアへ移動します。

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【2日目(その3):ヴィエリチカ岩塩坑】


【2日目(その2)】からの続き

psh-2-3-1.jpg続いては、クラクフから出ている現地バスツアーに参加して、世界遺産・ヴィエリチカ岩塩坑へ。
ヴィエリチカ岩塩坑は、13世紀から1950年代まで稼働していた世界有数の規模の岩塩採掘場
深さは地下 327メートル、全長は300キロメートル以上に及ぶという。
その一部が観光客向けに開放されてり、こちら(←)が受付・入口になっている。
坑道は複雑に入り組んでいるため、個人で勝手に観光することはできず、必ずツアーに参加することになっている。世界遺産だけあって、英語はもちろん、フランス語、ドイツ語、イタリア語など各国のガイドが用意されているようだった(日本語はナシ)。

ツアー開始後しばらくは、木製の階段を延々と下る。ガイドが、「ご心配なく。帰りはエレベーターがありますから!」と何度も説明していた。確かに足腰の弱い人は不安になるくらい、とにかく地下へ地下へと階段を下りた。
壁や天井には、塩の結晶が溶け出していて、カリフラワーのようになっているところや、鍾乳石のようにつらら状になっているところなどもあった(↓)。
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psh-2-3-4.jpg炭坑で働いていた人の様子を再現した展示も多かった。この岩塩坑の動力は、馬と人間。馬は貴重な労働力として、大事にされたという。
ガイド曰く、ここで働く人たちは、仕事の内容、危険度にかかわらず、賃金は一律だったとのこと。賃金水準自体は高かったけれど、それでも体力的にもきつく、また危険な仕事も多かったようだ。
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psh-2-3-6.jpg採掘された後に空いた空間には、岩塩で造られた像などもたくさん並んでいた。こちら(←)はポーランドの歴史上、名君とされているカジミエシュ王の像。こちら(→)は、働く妖精たち(?)、ゴブリンのように見えた。
その他、ここを訪れたと言われるゲーテや、ポーランドが生んだ天才コペルニクスなどの像もあった。
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psh-2-3-8.jpgこちら(←)は、この観光ツアー最大の見どころ、聖キンガ礼拝堂
かなり広い空間で、シャンデリアがいくつもぶら下がっていた。ちなみにこのシャンデリアも、岩塩でできている。

下(↓)は、壁に彫られたキリスト誕生のシーン。赤子のイエスは、ピンク色の岩塩で造られている。
ガイド曰く、このピンク色の岩塩はポーランド産のものだけれど、ここヴィエリチカで観光客向けに売られている岩塩のおみやげでピンク色のものは、実はパキスタン産のものなんだとか。

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psh-2-3-10.jpgこちら(←)は有名な、岩塩製の『最後の晩餐』
良くできてますね~。

この後もツアーは続き、ガイドから、第二次世界大戦中、この岩塩坑を占領したドイツが、ここを軍事物資の工場としても使用したとの説明があった。労働者はポーランド人なので、ドイツ軍に抵抗し、塩分のせいで不具合が多くなるという言い訳をして、工場としてはまともに機能しなかったらしい。

psh-2-3-12.jpgツアーの最後には、おなじみの世界遺産マーク。もちろん岩塩製。

ツアーの道先案内人(?)のパネルで、写真撮影。
今回は一人旅なので自分の写真はほとんどなく、これはかなり貴重な一枚(笑)。
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ツアー自体は2時間程度。けっこう歩くし、滑るところもあるので、歩きやすい靴で行くのがオススメ。
あと、岩塩坑内は地中深いこともあり、気温は年間を通して14℃程度で安定している。
ヴィエリチカの塩を使ったコスメ、バスソルトなどのおみやげものもたくさん売っていたけれど、まだ旅行は始まったばかりなので何も買わず。ちょっと重いけど、バスソルトはばらまきみやげにちょうどよさそう。

ツアー終了後は、再びクラクフに戻り、旧市街を散策。
そちらの模様は、【2日目(その2)】へ。

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【2日目(その2):クラクフ・旧市街】


【2日目(その1)】からの続き


psh-2-2-1.jpg続いては、クラクフの旧市街を散策。こちらはクラクフの町並み。
クラクフには、第二次世界大戦中にナチスのポーランド総督府が置かれたため、徹底的に破壊されたワルシャワとは対照的に、中世の町並みがそのまま残っている。
psh-2-2-2.jpgこちらは、中央広場と織物会館
中央広場は総面積4万平方メートルもあり(200メートル四方くらい)、中世からそのまま残る広場としてはヨーロッパ最大。
織物会館は14世紀に建てられ、当時は織物の交易所だったことからこの名が付いた。モンゴルの征西の後、ヨーロッパとアジアの交易がさかんになった時代には、さぞ賑やかだったことだろう。

現在の織物会館の中は、みやげもの屋が並んでいる(地下には博物館ができたらしい)。ポーランドの名産品である琥珀、ロシアっぽい人形などがたくさん売られていた(↓)。
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psh-2-2-5.jpgこちらも、中央広場にある旧市庁舎の塔。旧市庁舎の建物自体は取り壊されてしまったが、この塔だけは残っていて、今は展望台になっている。
塔の前には、不思議なオブジェ(↓)があり、子どもたちが中に入って遊んでいた。
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展望台は、クラクフ旧市街が見渡せるスポット、もうちょっと天気が良かったらよかったんだけど・・・

psh-2-2-6.jpg中央広場と聖マリア教会。
psh-2-2-7.jpgズームで撮影したヴァヴェル城。

続いては、旧市街の北の入口、フロリアンスカ門(↓左)とバルバカン(↓右)。
円形の砦のバルバカンはどっしりとした建物で、中に入ることもできたようだけれども、時間がなくスキップ。でも、この見た目はかなりのインパクト。
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psh-2-2-11.jpgこの後、ヴィエリチカ岩塩坑のツアーに参加(その模様は【2日目(その3)】へ。)

再びクラクフに戻ってきて、ヤギウォ大学のキャンパス(←)を散策。
カジミエシュ大王により14世紀に設立された大学で、あのコペルニクスも通ったという名門大学。

暗くなってから、再び中央市場を散策。
織物会館、噴水、聖マリア教会がライトアップされていてなかなかキレイだった。

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初日から盛りだくさんの1日でした。
明日はいよいよ、この旅の最大の目的であるアウシュビッツ・ビルケナウを訪れます。


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【2日目(その1):クラクフ・ヴァヴェル城、聖マリア教会】


さて、昨日は移動日だったので、今日が実質初日。
あいにくの曇り空、気温も低めで肌寒く、ちょっぴり残念なお天気(でも辛うじて雨は降っていない)。
まずは歩いてヴァヴェル城に向かった。
城壁沿いの道を歩くと、至る所で工事をしていて砂埃がすごくて、「なんだか風情がないなぁ・・・」と思っていたのだけれども。インフォメーション・センターでチケットを買って、入った方と反対側の出口を出ると・・・

おぉっ!なんと素敵なお城!!!と一気にテンションが上がったpsh2-1-2.jpg

ヴァヴェル城の敷地内に入るのは無料なのだけれど、中の展示を見るのはそれぞれチケットを購入する必要があり、インフォメーション・センターで購入できる(ヴァヴェル大聖堂は別)。
各施設に入場できる人数が決まっていて、チケット(↓左)に指定された入場時間が印字されており、受付で丁寧に回る順番も教えてくれた。
ワタクシが購入したのは、
1) 王宮の展示(State Room)
2) 王族の私室(Royal Private Apartments / ガイドツアーに参加しなければ入場できない)
3) 宝物・武具博物館(Crown Treasury and Armoury)
4) ヴァヴェル城遺構(Lost Wawel)
5) レオナルド・ダ・ヴィンチの『白貂を抱く貴婦人』の絵画鑑賞

5)のダ・ヴィンチの作品は、通常展示されているチャルトリスキ美術館が改装中のため、ヴァヴェル城の王宮内に展示されているもの。ダ・ヴィンチの描いた肖像画は世界で3枚しかないといい、これはその1枚。
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最初に訪れたのは、ヴァヴェル城遺構(↑右)。発掘された10世紀のヴァヴェル城(当時もそう呼んだのかは不明だが)の様子が展示されていた。

続いて訪れたのは、ダ・ヴィンチの『白貂を抱く貴婦人』の展示室。
この1枚の絵だけが展示されていて、その特別扱いぶり(?)にも驚く。ダ・ヴィンチって、やっぱり大天才だし、絵の良し悪しは正直よくわからないけれども、とにかくものすごく貴重な作品なんだろうなぁ・・・などと思って5分くらい眺めていた。

次に訪れたのは、旧王宮(↓左)の中にある、1)王宮の展示、ガイドツアーに参加した2)王族の私室。ガイドツアーは45分、残念ながら写真撮影は厳禁でした。
ルネサンス時代の家具や調度品、絵画のほか、ゴージャスなフランドル産のタペストリーが大量に飾ってあった。これらは第二次大戦中に他国に持ち去られたが、1961年にカナダからポーランドに返還されたのだという。
最後に訪れたのは、3)宝物・武具博物館。宝物では宝石がちりばめられた剣やマント、武具ではトルコのものが印象に残った。
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金色のドームが印象的な建物は、ヴァヴェル大聖堂(↑右)。日曜午前は観光客に開放されていないため、明日また改めて来ることに(その模様は、【3日目(その1)】へ)。

ヴァヴェル城の観光を終えた後には、旧市街の中心に位置する聖マリア教会(↓)へ。
この聖マリア教会は、1222年に造られたゴシック様式の教会。
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psh-2-1-8.jpgこの教会の最大の見どころは、15世紀に作られたファイト・シュトースの祭壇画。現在は国宝にしていされている。
中央の下部には、十二使徒に見守られ永眠するマリア、その上部には昇天するマリアが描かれ、扉を開いた左右には、受胎告知、キリストの降誕、東方の三博士、キリストの復活、キリストの昇天、聖霊の降下のシーンがそれぞれ描かれている。
psh-2-1-9.jpg上部には、聖母の戴冠のシーンの彫像。

10年ぶりに訪れたこともあり、“ザ・ヨーロッパ”な教会を訪れるのも久しぶりだったので、ステンドグラスの美しさ、聖堂内の荘厳さに圧倒されてしまった。
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【2日目(その2)】へ続く

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【初日:成田 → ミュンヘン → クラクフ】


day1-1.jpg2013年のゴールデンウィークの初日。東京は、ワタクシの旅立ちを祝ってくれているかのような気持ちの良い快晴
今年のゴールデンウィークは、半年以上前から計画していた中欧3カ国(ポーランド、スロバキア、ハンガリー)世界遺産旅行

ポーランドでは、クラクフ旧市街、ヴィエリチカ岩塩坑、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所の3か所、
スロバキアでは、レヴォチャ歴史地区+スピシュ城とその関連文化財、
ハンガリーでは、アグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群、ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り(、さらに余力があれば、トカイのワイン産地の歴史的・文化的景観)
合計6つ(欲張った場合は7つ)の世界遺産を巡るプラン

12:40成田発ルフトハンザ715便で、まずはミュンヘンへ。
機内で見た映画は、『のぼうの城』『トワイライト・サーガ ブレーキング・ドーン Part2』『ヒッチコック』の3本。
『のぼうの城』は水攻めのシーンの迫力と、のぼう様(野村萬斎)の田楽踊りのインパクト強し。
『トワイライト~』は、ベラが変身していて派手になってた(笑)。アリスの予知能力、すごすぎ~。
『ヒッチコック』は映画『サイコ』を見ていないのでわからない部分がけっこうあった。今度見てみよう。
Nobono-shiro.jpg Twilight saga-breakingdawn2 Hitch cock

ミュンヘンに到着。ユーロを持っていなかったのでクレジットカードでキャッシング(今回の旅行で訪れる3か国のうち、ユーロを通過としているのはスロバキアのみだけど、念のため)。
お金を崩したくて売店で水を買ったところ、500mlペットボトルのエビアンの値段がなんと、2.4ユーロ!!!
空港とはいえ高すぎる・・・

空港で時間はあったけれど、昨今の円安で何も買う気がしなかったので、本を読んで時間をつぶし、いざ、21:30ミュンヘン発のルフトハンザ1626便でクラクフへ。

クラクフに着いたのは23時ごろ。
両替などを済ませ(1ポーランド・ズウォティ(zl)=36.5円。空港だけにレートが悪く失敗・・・バゲージクレーム付近にATMがあったから、そこで下したほうがよかったか)、タクシーで旧市街内にあるホテルへ。空港からホテルまでは土曜日の深夜ということもあり、90zlほどかかった。

明日は、午前中にヴァヴェル城、午後にはヴィエリチカ岩塩坑に行く予定です

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asahi-2013.jpg今年もやってきました、アサヒビールの株主優待
そんなにビールは飲まないけれど、この“株主様限定特製ビール”が楽しみで株をホールドしてもう10年以上になる。
(これまでの優待品ご参考:2012年2011年2010年2009年2008年2007年2006年2005年。)

今年のビールは、北米産のアロマホップ“カリプソ”と濃色麦芽を使用した琥珀色のビール。
飲んでみたところ、フルーティーな香りの、さっぱりでもなくコク深いでもなくちょうどその中間って感じ?

これから気温も上がるし、冷やしてのんびり楽しむとしましょう♪

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シンドラーのリスト 

2013/04/20
Sat. 23:43

schindlerslist.jpgGWの旅行の予習として、約20年ぶりに『シンドラーのリスト』(1993年/米国 原題:Schindler's List)を見た。

=ストーリー=

第二次大戦下、戦争で一儲けしようとクラクフにやってきたオスカー・シンドラー(ニーアム・リーソン)は、廃工場を購入し、有能なユダヤ人会計士イザック・シュターン(ベン・キングスレー)を雇って経営を任せ、クラクフのゲットーに住むユダヤ人を安い労働力として利用していた。
当初はユダヤ人を労働力としか見ていなかったシンドラーだが、“プワショフの屠殺人”と恐れられた残虐なクラクフ・プワショフ強制収容所の所長アーモン・ゲート(レイフ・ファインズ)やその他SS幹部と交渉し、ユダヤ人を自分の工場で働かせることによって保護するようになる。
プワショフ強制収容所が廃止されることとなり、クラクフのゲットーのユダヤ人たちはすべてアウシュビッツ強制収容所に送られることとなるが、シンドラーは軍需工場の熟練工として必要なユダヤ人のリストを作り・・・

=感想=

 大筋は覚えていたつもりだったのだけれど、かなりいい加減な記憶だったことが判明。
シンドラーの“命のリスト”はクラクフから彼の故郷に連れていくリストで、その故郷では、表向きの軍需工場を装うため、クラクフで築いた全財産を使い果たしていた、ということもまったく覚えていなかった。
 
改めて見ると、アーモン・ゲートの残虐さがそれで帳消しになるわけではないけれど、彼もプレッシャーと戦っており、メイドとして雇った美しいユダヤ人女性に惹かれる一人の人間として描かれていたのが印象に残った。
 
特典映像で語られたのは、クラクフで成功していた=13世紀にペストを持ち込んだとしてヨーロッパ中で迫害されたユダヤ人たちはポーランドへの移住が進み、14世紀にはポーランド王カジミェシュ3世の保護の下、商業的に成功していた=ユダヤ人たちの財産を、ドイツ人だけでなくポーランド人も狙っていた、ということで、これも少しショックだった。ポーランド人はユダヤ人やホロコーストのことをどう思って/感じているのか、これまで考えたことがなかったけれど、興味がわいた。


=評価=
なし


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rubens1.jpgBunkamuraで開催中の『ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア』展に行ってきた。
新しくなった地下迷宮のような渋谷駅、めちゃめちゃわかりにくくて迷ったよ・・・トホホ

ルーベンスと言えば、ネロとパトラッシュ、『フランダースの犬』でおなじみ(ネロが最後に見たのは、アントワープ大聖堂にある『キリストの降架』という作品)。
あんなに悲しいアニメで(日本ではめちゃめちゃ)有名になったのに(?)、当のルーベンスはかなり幸せな人生を送った画家のようだ。美術を学ぶためイタリアに渡り、アントワープに戻って自分の工房を持ち、多くの弟子たちに制作を支えてもらい作品を量産、生前で名声を得て、2度の結婚で子どもにも恵まれ、さらに才能豊かで外交官としても活躍したという。

展示は、
第1章 イタリア美術からの着想
第2章 ルーベンスとアントワープの工房
第3章 工房の画家たち
第4章 専門画家たちとの共同作業

という構成。

印象に残っている作品は、
・ 日本初公開のルーベンス『ロムルスとレムスの発見』:狼に育てられたという双子が、すごく力強く描かれていた。
・ ルーベンス『復活のキリスト』:十字架にかけられた後、復活したキリストの肉体が、筋肉隆々というのはオーバーだけど、肉付きがよくこちらもダイナミックな感じだった。
・ アントーン・ヴァン・ダイク『悔悛のマグダラのマリア』:荒野を放浪し悟りを開いた(じゃなくて悔悛した)瞬間のマグダラのマリアを描いたもの。恍惚とした目、表情がなんだかちょっとエロチック。
・ ルーベンス&フランス・スネイデルス『熊狩り』:動物の絵を得意としたスネイデルスとの共作。熊、馬、猟犬などの動物がリアル!スペイン王のオーダーで描かれたものというのも納得の迫力だった。

rubens2.jpg絵や版画そのものもだけれども、それよりも(歴史浪漫好きのワタクシとしては)、ルーベンスの工房が大規模で組織化されていて、ある程度システマチックに作品が制作されていたということが興味深かった。油彩画のスケッチをもとに版画をつくって量産が可能になっていた一方で、最後にルーベンス自身が筆を入れて手直しをして完成させ、一定のクオリティを保っていたのだという。

ところで、今回の展示の音声ガイドがちょっと変わっていて、ペン型をしていた。
ペン先で音声ガイドシート(→)の絵・番号をタッチするとガイドが流れてくるというもの。最近の音声ガイドはこういう形が主流になってきているのかしら???

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金沢ミニ旅行:2日目(ランチ加賀麩料理編) 

2013/04/07
Sun. 14:28

【金沢ミニ旅行:ランチ加賀麩料理編】


ランチは近江町市場近く、伝統ある加賀麩の専門店、不室屋の本店に併設されている茶寮 不室屋』へ。
予約は入れていなかったけれど、早い時間だったこともあり席に空きがあり、すんなり入ることができた(予約なしなので料理の準備に時間がかかると言われたけれど、幸いそんなに待つこともなかった)。

ランチは、月替わりの麩久箱膳というお料理のみ。2500円也。
まずは、[蓋裏膳]と[麩久箱]として、美しい前菜たちが登場(↓)。
生麩の昆布〆、麩入り玉子焼き、すだれ麩のお寿司など、お麩を使った珍しいお料理がいっぱい。
saryofumuroya-1.jpg saryofumuroya-2.jpg

続いては、メインでもある金沢の郷土料理、治部煮(南瓜、巻ゆば、すだれ麩、市姫麩、竹の子、どんこ椎茸、鶏肉、スナック豌豆、細工麩、山葵)。
上品なお出汁をたっぷり吸ったお麩は美味。わさびとの相性もばっちり。あと、しいたけが肉厚でおいしかった。
saryofumuroya-3.jpg saryofumuroya-4.jpg

saryofumuroya-5.jpgさらに、加賀味噌を使ったお味噌汁(もちろん麩入り)白ごはんに香の物、しぐれ麩(麩のつくだ煮)も付いてきた(↑)。
白ごはんのおかわりができたけど、ここはぐっと我慢・・・

で、食後のデザート(500円)を追加オーダー。
ミニあんみつと生麩饅頭(←)、両方楽しめ、お得感があった。

隣の本店で、自分用のみやげに、焼麩をオーブンで焼いたメープル風味のお菓子『おやつ麩』、お湯で溶くだけで簡単に本格的なおすましやお味噌汁が楽しめる『ふやき御汁 宝の麩』を5つほど購入。

やっぱり和食は素晴らしい!と感じたお昼のひとときでした。

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【金沢ミニ旅行:ひがし茶屋街・近江市場編】


金沢2日目の今日は、天気予報どおりあいにくの雨。
折り畳み傘は持っていたけれど、今回ワタクシがお世話になったのは、傘の無料貸し出しサービス。空港、駅、バスの中、観光案内所、ホテル、その他観光客が訪れそうな場所に、ステッカーの貼ってある傘が置いてあり、それを利用することができ、いちいち折り畳み傘を開いたり閉じて店の中を持ち歩いたりする必要がなく、とても助かった。

雨の降るなか向かったのは、江戸時代後期の町並みがそのまま残る、ひがし茶屋街
江戸時代に加賀藩によって造られたお茶屋街で最大規模のもの(他には、「主計町茶屋街」「にし茶屋街」がある)。
higashi-1.jpg higashi-2.jpg

格式の高い茶屋で、国の重要文化財にも指定されている『志摩』には入館することができる(800円也)。
お茶屋は2階が客間で、こちら(↓)は広々とした前座敷。生活感ある押入れや物入れなどはなく、遊興の場としての造りになっている。
shima-1.jpg shima-2.jpg
こちら(↓)は三味線や舞など遊芸が披露されるひかえの間、こちら(↓)1階にある台所。たくさんの客人をもてなすことができるよう、器もたくさんそろっていた。
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higashi-3.jpghigashi-4.jpgお茶屋の建物を利用したカフェやみやげもの店が並ぶこのエリアを、しばし散策。

金沢は金箔の伝統工芸がさかんなので、金箔を使った商品(最近はコスメが流行っているらしい)を扱うショップも多いのだけれど、その中のひとつ『箔座ひかり蔵』というお店には、なんともゴージャスな、純金プラチナ箔張りの“黄金の蔵”があった(←)。

おみやげに金箔入りの入浴剤、自分用に金箔を使った和菓子にも洋菓子にも使えそうなお皿、九谷焼のれんげなどを購入。九谷焼はもともと飾り皿だったとのこと、デザインも素敵なものが多かった。

ふらふらと歩いていると、桜が目に入ったのでそちらのほうに進んでいくと、宇多須神社という神社があった。
こちらは、第2代藩主の前田利長が、金沢の鬼門であるこの地に「卯辰八幡宮」として父・前田利家の霊を祀り建立したことがはじまりの、前田家ゆかりの格式高い神社とのこと。
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風が強かったこともあり、参道は花びらの絨毯を敷いたようでした。
utasu-3.jpg utasu-4.jpg
ひがし茶屋街からバスに乗って近江町市場方面に移動。
バスを移動の足とするのであれば、レトロな車体の周遊バスと、路線バス(北鉄バス)の定額料金区間、金沢駅と兼六園間を走るシャトルバスが1日乗り放題になるチケット(500円)が便利。
(ランチタイムの様子は【ランチ加賀麩料理編】


ランチの後は、近江町市場をひやかす。
日曜日ということもあり、やや活気がなかった気がする。
今回の金沢滞在中、ノドグロを食べなかったのがちょっと悔やまれた。
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その後、前田利家とおまつの方ゆかりの尾山神社へ。
ここには、明治時代に造られた和漢洋の三様式を取り入れたとても珍しい神門(→)がある。第三層は四面五彩のギヤマン張り、その上の避雷針は日本最古のものだという。
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広い神社のようだったのでじっくり見たかったのだけれど、風雨が強くなってきて、(借り物の)傘が壊れてしまったので、泣く泣く断念。拝殿(↑)のみ遠くから拝んだのみ。
oyama-2.jpg

そろそろ時間になったので、金沢駅へ移動。
駅ビルの中の充実した土産物店街で買い物をして、小松空港へ。
少し遅れたけれど、普通に飛行機も飛んでくれ、無事家に戻ることができた。

2日目は天気が悪かったのであまり動き回らなかったけど、それでも1泊2日でけっこう遊べるもんだな~となんだかとっても嬉しくなった。
次はどこへ行こうかな♪

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金沢ミニ旅行:初日(駆け足観光編) 

2013/04/06
Sat. 22:13

【金沢ミニ旅行:駆け足観光編】


ランチの後は、忍者寺というあだ名のついている妙立寺というお寺へ。
このお寺の中を見るには、事前予約が必要なのだけれど、当日電話して「今から行きます」で大丈夫だった。

このお寺、忍者とはまったく関係がないのだが、とにかく、からくりがいっぱいで面白かった
外から見ると普通のお寺、でも実は四階建てで七層にもなっており、部屋数は23、階段は隠し階段も入れてなんと29か所もある
江戸時代は第三代将軍・家光の時代。有力外様大名がささいな理由で次々と改易されるなか、加賀百万石の前田家は、将軍家から見るともっとも警戒すべき大名で、加賀藩の第三代藩主・前田利常もそのことは十分に認識していた。将軍の前では無能を装いながら、加賀では徳川家との戦いに備え、金沢城のいわば“出城”として、この妙立寺を建立したのだという。
myoryuji-1.jpgmyoryuji-2.jpgたとえば、この写真(←)の階段は、障子紙が貼られていて、外からの明りとりになっている。敵が階段を上ってた時には、ここから槍で突くこともできるとのこと。

他にも、藩主がお忍びで参拝に来たとき用の秘密の部屋があったり、賽銭箱で覆われている落とし穴があったり、自動ロックがかかる仕組みになっている隠し階段があったり、金沢城まで続いているという横穴のある“伝説の井戸”があったり(実際には川を越えるので、あくまでも伝説)して、本当に興味深かった。
このお寺は築350年以上、痛んでいるところもあるので、個人が自由にからくりをいじったりすることはできないし、写真撮影もNGなのは残念だけど、興味があれば超オススメ!!!

bukeyashiki-5.jpg続いて訪れたのは、長町武家屋敷跡
金沢最古の用水、大野庄用水に沿って、武家屋敷の土塀が残る、しっとりとしたエリア。


bukeyashiki-1.jpg bukeyashiki-2.jpg

こちら(↓)は、足軽資料館。かつての足軽の住居が2棟移築されていて、中を見ることができる。
足軽でも、座敷のある一軒家をもてるなんて、さすが加賀百万石!
bukeyashiki-3.jpg bukeyashiki-4.jpg

いったんホテルにチェックインし、少し休憩してから、お次は金沢21世紀美術館へ。

21c-3.jpg 21c-4.jpg 21c-5.jpg 
21c-2.jpgこの美術館、有料の展示ゾーンと無料で入れるゾーンがあり、無料ゾーンだけでもそこそこは楽しめた。
加賀友禅の図柄を使ったポップな市民ギャラリー(↑)ではのんびり座ってぼーっとできるし、そこからは『雲を測る男』を見ることができ、空の色、雲の形や流れ、それぞれの変化でいろいろな表情が楽しめる。
わくわくアイテムいっぱいのミュージアムショップも無料で入れるので、ちょっと変わったプチギフト探しにも使える。

美術館の外は公園のようになっていて、そこにも現代アート作品が展示されている。こちら(→)は『カラー・アクティビティ・ハウス』

すっかり日が暮れ暗くなってきたので、夜桜を見に、再び兼六園へ。
そちらの模様は、【兼六園・金沢城公園編】の後半で。

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金沢ミニ旅行:初日(ランチ寿司編) 

2013/04/06
Sat. 12:30

【金沢ミニ旅行:ランチ寿司編】


午前中の観光の後は、某クチコミサイトで評判の高かった『乙女寿司』でランチ。
予約していて時間ぎりぎりだったこともあり、金沢城公園からかなり早足で片町のお店まで歩いたので、腹ごしらえはバッチリ

気温が高く喉も乾いたので、まずはビールをオーダー。いやぁ、昼間っからビール、幸せです♪
otomezushi-2.jpg

酒の肴はどう?と勧められたけれども、お寿司を食べたかったので、最初からおまかせをオーダー。
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スタートはアカイカ。続いて甘海老、アラという地元の白身の魚(高級魚らしい)。
アカイカはとても甘く、アラはあっさり上品なお味だった。
握りのシャリは小さめで、お米そのものが甘いような気がした。
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中トロ、ウニ、バイ貝。
バイ貝は初めて食べたけれど、コリっとした食感が良かった。
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酢で軽く〆たアジ、そして手巻きのうなぎ。うなぎは直前に炙ってくれるのでアツアツ。
ここでおまかせは終了のようで、お味噌汁が出てきた。
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でもこれではまだまだ満足できないので、どんなネタがあるかを聞いてみたところ、隣の席にいた人たちも追加注文するところだったので、ずらーっと見せてくれた。
otomezushi-12.jpg otomezushi-13.jpg

北陸産のガス海老、コハダ。握りだと延々と(?)食べてしまいそうだったので、最後はネギトロの細巻。
ネギトロも注文してから目の前で作ってくれ、ちょっぴり感動。
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まだお腹に余裕はあったけど、食べ過ぎて苦しくなっては風情がないので、これにて終了。
お会計は〆て6600円也。
決して安くはないけれど、ちゃんとしたお寿司をゆっくりじっくり味わえて満足でした。

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金沢ミニ旅行:初日(兼六園・金沢城公園編) 

2013/04/06
Sat. 11:25

【金沢ミニ旅行:兼六園・金沢城公園編】


期限切れ間近のマイレージがあったので、ふと思い立って金沢に行ってきた。
この前(日記には書いていないけれど)偕楽園に行ったので、どうせなら今年は日本の三大庭園訪れようかな、と(実は兼六園も後楽園も訪れたことはない・・・)。

桜の開花時期に合わせて航空券を予約したものの、この週末には“爆弾低気圧”が到来、天気は大荒れの予報・・・まぁ、なんとかなるだろうと楽観的に考え、早起きして羽田からひとっとび
1時間で小松空港に到着。そこからリムジンバスで金沢駅へ。北陸新幹線が開通したら、東京からはそのルートも便利かもしれない。

午後から天気が崩れるとの予報もあったせいか、兼六園はたくさんの人で賑わっていた。
ちょうどお花見の時期、入園料が無料だったせいもあるのだろう。。。子ども連れも多く出店も大繁盛、子どもの3人に1人はリンゴ飴を手にしていた(リンゴ飴って子どものころはすごくテンションあがったけど、今はまったく惹かれない)。

まずは兼六園のシンボル、霞ヶ池・徽軫灯籠(ことじとうろう↓)と唐崎松(↓)を鑑賞(桜はないけど・・・)。
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縁起が良いとされている根上松(ねあがりまつ↓)。確かに、ワタクシの持っている株価は(も)上がってます(笑)。そしてそして、花見橋からの眺め
kenrokuen-3.jpg kenrokuen-5.jpg 

これでもか!と咲き誇る桜。まさに満開!兼六園発祥の地とされる瓢池(ひさごいけ)の桜も見事。
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kenrokuen-9.jpgこちらは眺望台からの眺め。

ちなみに兼六園というのは六つの優れた景勝、“六勝”が備わっていることから名づけられたのだとか。
六勝とは、[宏大(こうだい。開放的で明るく広々としている)]⇔[幽邃(ゆうすい。静かで奥深い趣をもつ)]、[人力(じんりょく。人の手が加わっている)]⇔[蒼古(そうこ。自然そのままの寂びた風景)]、[水泉(すいせん。低いところへ流れる池や滝の水)]⇔[眺望(ちょうぼう。高い場所から遠くまで見渡せる)]と、相反する性質をもつため同時に存在することができないとされているが、ここ兼六園ではそのすべてが備わっていると言われている。
kenrokuen-7.jpg門の外へ出て、お隣の金沢城公園へ。
こちらも桜が見事。石垣もとても迫力があった。
kenrokuen-12.jpg内堀も桜が満開。

こちらの金沢城、前田利家が金沢に入った1583年に本格的に築城が始まったものの、江戸時代には何度も火事で焼けているのだという。「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるくらい雨の多い金沢だけど、火事が多かったのねぇ・・・

kenrokuen-8.jpgお城と桜。威風堂々といった感じ。
お城の敷地は広く(今はない建物も多いせいか広々とした広場・公園になっている)、加賀百万石は伊達ではないな~と思った。


1850年代に再建された三十間長屋。中に入ることができたので覗いてみた。
kenrokuen-10.jpg kenrokuen-11.jpg
いったんここで兼六園と金沢城公園の観光は終了。お昼が近くなったので、ランチへ向かった。

※続きは【ランチ寿司編】【駆け足観光編】で。



日が暮れてから再び兼六園、金沢城公園を訪れ、ライトアップをしているとのこと、夜桜鑑賞を楽しんだ。

kenrokuen-13.jpg kenrokuen-14.jpg

kenrokuen-15.jpg kenrokuen-16.jpg

いやぁ、1日って長くていろいろできるものですね~。

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2013-04