Small Talk 2

旅の記録 + ちょこっと日常のあれこれ を綴ります

カラフルなランチ@レストラン ヒロミチ 

2011/05/29
Sun. 21:02

昔働いていた会社の後輩Nちゃんと恵比寿の『レストラン ヒロミチ』でランチ。
土日のランチは、メインが1品の“軽めのランチ(3,990円)”と2品の”デギスタシオンランチ(5,900円)”の2種があり、ワタクシたちは“軽めのランチ”に決める。

グラスのシャンパンは1,500円~、グラスワインは1,000円~。
グラスのシャンパンをもらったところ、辛口でキリリと冷えていて飲みやすかった。

さてさてお料理。
小さな前菜は、ブルーチーズベースのクリームの入ったシュー。非常に可愛らしい(笑)。
パンはくせのないバケット。外はパリパリ、中はふんわり。
hiromichi1.jpg hiromichi2.jpg

前菜は2品選べ、ワタクシは“国産竹の子と魚介類の本日の一皿”“江戸前穴子のふわふわ“キッシュ”、きゅうりのサラダ添え”をチョイス。
国産竹の子・・・の一品はカラフルでとってもキレイ。魚介はタコとアサリと普通の(高級と言う意味でない)食材だったけど、見た目の鮮やかさでかなり満足してしまった。
穴子のキッシュは、その名のとおり、ふわっふわの食感。どうやったらあんなふわふわに焼けるんだろう?
hiromichi3.jpg hiromichi4.jpg

メインは本日の魚料理か肉料理どちらかを選ぶスタイルで、ワタクシはお肉料理、若鶏のコンフィをオーダー。
こちらも前菜同様、付け合せの温野菜がカラフル。山葡萄の葉なんていう珍しいものも入っていた。
鶏は、身のほうにも火が通りすぎていたような気がしないでもなかったけど、表面がパリっと焼いてあり香ばしかった。
hiromichi5.jpg hiromichi6.jpg
デザートは、“自家製ケーキの盛り合わせ”
ラムレーズンのアイスクリーム、はっさくのジュレとカスタードクリームを使った小さないちごのケーキ。
ラムレーズンのアイスクリームは濃厚ではなくさっぱりした感じ。はっさくのジュレが、酸味が爽やか、みずみずしくて非常においしかった。
飲み物はコーヒー、紅茶、エスプレッソ、ハーブティー2種などから選べる。ワタクシはカモミールベースのハーブティをいただいたけれど、こちらはちょっと薄くて白湯っぽかったのがやや残念だった。

Nちゃんのおめでたい話も聞けたし(なかなか会えなくなるのはちょっとさびしいけれど)、充実ののんびりランチでした。
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大奥 

2011/05/28
Sat. 21:03

『大奥』(2010年/日本)を見た。

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=ストーリー=

男だけがかかる疫病が流行り、男の数が女の4分の1に減ってしまった江戸時代。要職には女が就き、女たちが子種を欲しがり男を買っていた。そんな中、貧乏旗本の水野祐之進(二宮和也)は、実家を救うため大奥に入ることにする。
新入りとして嫌がらせを受ける水野だが、持ち前の剣術の腕とまっすぐで誠実な性格から、次第に頭角を現していく。
時の将軍が夭逝し、質素倹約を好む徳川吉宗(柴咲コウ)が将軍となり、水野は大奥総取締の藤波(佐々木蔵之介)から、将軍に直接会うことができる御中臈への昇進を告げられるが・・・
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十三人の刺客 

2011/05/24
Tue. 22:22

『十三人の刺客』(2010年/日本)を見た。

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=ストーリー=

明石藩主の松平斉韶(稲垣吾郎)は、将軍の腹違いの弟ゆえ近々老中になろうとしていたが、異常なまでに残忍な性格で暴虐な行動が多く、彼を幕政に関わらせることに危機感を覚えた筆頭老中の土井(平幹二郎)は、御目付役の島田新左衛門(役所広司)に、斉韶の暗殺を命じる。
腕の立つ仲間を集め作戦を練った島田は、斉韶が参勤交代で江戸から明石へ帰る途中を狙うが・・・

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キス&キル 

2011/05/22
Sun. 21:55

『キス&キル』(2010年/米国 原題:Killers)を見た。

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=ストーリー=

失恋後、両親との家族旅行でニースを訪れたジェン(キャサリン・ハイグル)は、政府に雇われている凄腕の殺し屋スペンサー(アシュトン・カッチャー)と出会い恋に落ちる。
それから3年後。結婚した二人は、両親の家のそばで穏やかな生活を送っていたが、スペンサーが昔の同僚に命を狙われ、二人は一緒に逃亡を試みるが・・・

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シュレック フォーエバー 

2011/05/21
Sat. 21:58

『シュレック フォーエバー』(2010年/米国 原題:Shrek Forever After)を見た。

shrekforeverafter.jpg

=ストーリー=

フィオナ姫とその間にできた子どもたちと、“遠い遠い国”で幸せに暮らしていたシュレックだったが、平凡な毎日に少し嫌気がしてきたこともあり、長い間“遠い遠い国”の王位を狙っていた魔法使いランプルスティルスキンの策略にはまり、1日自由を得る代わりに、シュレックの記憶のない幼い日の1日をランプルスティルスキンに預ける、という契約書にサインしてしまう。
自由を得た後、シュレックが戻ると、フィオナも含め誰もシュレックのことを知らないと言い・・・

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asahi2011.jpg
今年もやってきました、アサヒビールの株主優待
ビール党ではないのだけれど、せっかく“株主限定”なのだからと、毎年株主限定特製ビールをもらっている。
(参考:昨年2年前3年前4年前5年前6年前。)

今年は新酵母(初めてビールに使った酵母)を使っているとのこと。

飲んでみて思ったのは、いまどきのビールらしいビール、ということ。
アサヒのビールといえばやはり“スーパードライ”の印象が強いけど、ああいうピリリとした刺激はなく、軽くマイルド。重さ・苦味が控えめで、そこが今風な感じ。料理にも合いそう。


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ナルニア国物語 第3章:アスラン王と魔法の島 

2011/05/10
Tue. 23:26

帰りの飛行機の中で、『ナルニア国物語 第3章:アスラン王と魔法の島』(2010年/米国 原題:The Chronicles of Narnia: The Voyage of the Dawn Treader)を見た。

thevoyageofthedawntreader.jpg

=ストーリー=

エドマンド(スキャンダー・ケインズ)とルーシー(ジョージー・ヘンリー)兄妹は、親戚の家に預けられ、意地悪で生意気な従弟のユースチス(ウィル・ポールター)と一緒に住むことになる。
ある日、壁に掛かった海に浮かぶ帆船の絵の中に吸い込まれ、兄妹とユースチスはナルニア国に入る。カスピアン王子(ベン・バーンズ)やネズミ戦士のリープチープに再会した彼らが上陸した島は、奴隷売買がおこなわれる暗い島で、不気味な魔法の霧に飲み込まれていた。その魔法を解くため、カスピアン王子の亡き父の友人であり行方不明になっていた7人の貴族たちの跡を追うことになり・・・

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グリーン・ホーネット 

2011/05/09
Mon. 22:31

旅行からの帰りの飛行機の中で、『グリーン・ホーネット』(2011年/米国 原題:The Green Hornet)を見た。

thegreenhornet.jpg

=ストーリー=

父の急死で父が作り上げた新聞社を継ぐことになったブリッド(セス・ローゲン)は、父の車の整備士だったカトー(ジェイ・チョウ)とコンビで、夜のロサンゼルスから犯罪を撲滅しようと、グリーンの仮面をつけた“グリーン・ホーネット”として活動を開始する。
街を牛耳っていたマフィアの大物チュドノフスキー(クリストフ・ヴァルツ)に目をつけられてしまい・・・

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イスラエル旅行 ~9日目(最終日)~ 

2011/05/08
Sun. 23:18

【9日日 : テルアビブ → カイロ → 仁川(ソウル) → 羽田】


最終日は移動のみ。
厳しい荷物検査も終え、一安心していたところ、なんとここでもハプニングが!!

数日前にテルアビブの空港で給油した燃油に不純物が混じっていたことがわかり、テルアビブでは近郊の空港までの最低限の燃料しか積めないことになったので、カイロで給油のためストップオーバーするスケジュールになったと言うのだ。
仁川での乗り継ぎ時間は2時間半しかなかったので、乗り継ぎは無理だろうな~などと思ったけど、発券された搭乗券は、予定通りのKE705便、成田行き。待ってくれるのかしら?と淡い期待を抱きつつ、24時過ぎにKE958便がテルアビブを離陸。

テルアビブからカイロまでは1時間ちょっと。給油のためおよそ1時間ストップ、この時点で2時間はロスしているわけで、やはり、仁川で成田便に乗り継ぐことはできず。
幸い、21時40分仁川発の羽田行きKE71便で東京に戻れるという。
成田でなく羽田に戻れるのはワタクシとしては嬉しいけれど、しかし到着予定時刻は23時40分。荷物を取って出国して・・・とすると、確実に翌日になってしまう。

でもまぁ、じたばたしても仕方がない。
映画見て、機内食食べて(お粥が出て感激)、睡眠をとって、12時間を超えるフライトもようやく終了。
仁川の空港で免税店をふらふらして2時間ほど待ち時間をつぶす。

ソウルから羽田は2時間弱。寝ていたらあっという間に到着。
到着が24時前と遅い時間だったので手続きはすんなり進み、タクシーで一路自宅へ。
深夜で道がすいていたこともあり、所要30分ちょい、6,000円で帰ることができた。


最後バタバタしてしまったけれど、9日間のイスラエル旅行は無事終了。
情勢は常に安定しませんが、観光旅行は十分に可能でした。もちろん、危険な地区に足を踏み入れなければ、という条件付きでしょうが。

9-1.jpg以下が、この旅行を終えての雑感です
ちなみに→の写真は、エルサレム新市街のみやげもの屋で見つけた、ネタみやげ用のキッパ。”Don't worry, be jewish.”ってすごいインパクト。

・ もっとも印象に残っているのは、ヤド・バシェムとマサダ。ユダヤの象徴なのは、心底納得できました。

・ ヴィアドロローサは正直いまひとつテンションが上がらなかったけど、城壁に囲まれたエルサレムの町はやはり不思議な魅力があった。

・ コシェル(ユダヤ教の食餌規定)を守るのはワタクシには無理!洋風の朝食にはハムやベーコンが欲しい。鱗がない海のものも食べたい。

・ やっぱり聖書はちゃんと学ばねば!


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【8日日 : 死海(エン・ボケック) → マサダ → エリコ → テルアビブ → ヤッフォ → テルアビブ】


テルアビブに戻り、世界遺産であるテルアビブの現代建築群を観光。
ドイツの“バウハウス”(工芸・美術の教育機関)などを出た若い建築家たちが、インターナショナルスタイルの建築を持ち込み、この町並みができたのだという。
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続いてテルアビブの隣にある港町、ヤッフォを観光。
紀元前からの古い古い港町で、アートのあふれる美しい町。
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こちら(↓)は、ヤッフォの高台から見たテルアビブの風景。
青い海、青い空、日本人にはあまりなじみがないけれど、この辺りは立派なリゾート地なんですねー。
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海沿いのレストランで最後の晩餐を済ませ、テルアビブの空港へ。

テルアビブの空港のセキュリティチェックは厳しいことで有名。
案の定、スーツケースを開けられ、おみやげに買ったドライイチジクは「どこで買ったのか」と質問され、また泥パックやせっけんなどの死海コスメについても「これだけか」「誰からもらったものではないか」などとしつこく聞かれた。
まぁ、後ろめたいところは何もないので、堂々と事実を答えればいいだけなんだけど、スーツケースの中身を他人にさらわれるのはやっぱり気分の良いものではなかったわ・・・・



最後に、イスラエルの食事をちょっぴり紹介。
といっても、コシェルがある以外は、ヨルダンとかシリアとか他の中近東諸国と変わらないんだけど・・・

まずは前菜。前菜の種類は、基本、生野菜、サラダとナスや胡麻のペースト。
その中でも、トマト、キュウリ、ニンジン、パプリカは、必ずといって言っていいほど出てきた。
イスラエルは野菜の栽培が盛んで、野菜に関しては自給率100%とのこと。
これら前菜は、平べったいパン(ナン)と一緒に食べる。
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メインはケバブ(↓左)が頻繁に登場。
豪快に串刺しにして焼いたものはもちろん、ハンバーグみたいに上品なケバブもよく見かけた。
そのほかは、チキンの焼いたもの(足つき)、チキンのカツレツ、白身魚を焼いたもの・揚げたものなどが多かった。ラムやマトンは、ヨルダンやシリアに比べると登場回数が少なかったように思う。
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デザートは甘いケーキ類が多かったのだけれど、この旅行中で一番美味しかったデザートは、凍らせたデーツ(↑右)。
もともとデーツ(なつめやし)はあまり得意でないんだけど、フレッシュなデーツを冷凍したこのシンプルなデザートは、ひんやり冷たく適度に甘く、大満足だった。



難関の出国審査もクリア、後は飛行機に乗って帰国するだけ、、、だったのですが、最後にちょっとしたハプニングが。
この続きは、また日を改めて。

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イスラエル旅行 ~8日目(前編)~ 

2011/05/07
Sat. 13:13

【8日日 : 死海(エン・ボケック) → マサダ → エリコ → テルアビブ → ヤッフォ → テルアビブ】


イスラエルでの最終日は、マサダの観光から。
ここマサダは、ローマ軍に追い詰められたユダヤ人たちが籠城した要塞。ユダヤ人たちは、ここで3年半にも渡り抵抗を続けたが、最終的には捕虜となる辱めを受けるより死によって自由になることを選択、紀元70年に967人が自決した。
このユダヤの精神は、「マサダは二度陥落せず」というスローガンとなり、独立運動の際にユダヤ人団結に貢献したと言われ、ヤド・バシェムと並び、ユダヤ人にとって非常に重要な場所とされている。
マサダは崖の上に作られた自然の要塞。歩いて登ることもできるが、ワタクシたちはロープウェイを利用。楽ちん、楽ちん。
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このマサダ、もともとは紀元前100年ごろに大祭司イェホナターンがこの地形を利用して作った要塞。
その後、ヘロデ王が補強増築し、豪華な冬の宮殿を建て、今もその一部が残っている。
ローマ帝国と同盟関係を築きユダヤ人を治めたヘロデが作った要塞が、100年もしないうちにローマ帝国への反乱軍の拠点となるとは、、、ヘロデは想像もしていなかったに違いない。

4万トンもの水をためられる貯水槽、穀物粉、フレスコ画の残る浴場の跡、石切り場などの遺跡を観光し、その後王宮跡を観光。下の写真の模型は、ヘロデが作った宮殿のテラスを説明したもの。崖を使って3段のテラスがあるのだけれど、すべて建築様式が異なるというこだわりよう。
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崖沿いの道を下りてテラスに向かう道(↓左)を撮影。雲の形の影をこんなにはっきり見たのは生まれて初めてだったかも。
↓右は一番下のテラス。一部当時のフレスコ画が残っているところもあったけど、カラフルな色がついているのは主に修復による。
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要塞から地上を見ると、ところどころに四角い陣地のようなものが書かれているのが見える(↓左)。
これは、ローマ軍がマサダを落とすために配備していた軍の駐屯地だったところを示しているという。

「捕虜となって辱めを受けるより・・・」という考え方が良いのかどうかの判断はできないけれど、このマサダ陥落が古代イスラエルの終焉であり、ディアスポラの時代の始まりだと思うと、ユダヤ人が「ノー・モア・マサダ」と語り継いできたことも納得できるような気がした。

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続いては、エリコのテル・アッスルターンの観光。
エリコは約1万年前から人が住んでいたという世界最古の町で、テル・アッスルターンは小高い丘。メギド同様、古い町の上に新しい町ができ、それが繰り返されたので丘になっている。
↓左の写真は、紀元前7800年ごろのものとされる円形の見張り台。
↓右の写真は、テル・アッスルターンから見た“悪魔に試みられた誘惑の山”。イエスが40日間断食・瞑想し、悪魔の誘惑を受けたとされる場所で、ここには古くから修道僧が隠れ住んでいたのだという。
現在はロープウェイで頂上に上がれ、パノラマが楽しめるらしい。
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以上で午前中の観光は終了。
バスでテルアビブに戻ります。

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イスラエル旅行 ~7日目~ 

2011/05/06
Fri. 23:10

【7日日 : エルサレム → クムラン → 死海(エン・ボケック)】


朝いちばんに、オリーブ山からエルサレム旧市街を展望
ここでぼーっと町を見ながら、城壁に囲まれたこのエルサレムは、聖書やその後の歴史をよく知らなくても、その町の歴史の重みが感じられる、不思議な魅力のあるところだなぁ、、、などと思った。
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オリーブ山を下り、ゲッセマネの園(↓左)に到着。
“ゲッセマネ”とはヘブライ語で“油絞り”の意味で、この場所にはイエスの時代からオリーブが植えられていたのだという。
ゲッセマネの園の隣にあるのが、万国民の教会(↓右)。
入り口の上部の壁には美しいモザイクががあり、遠くからでも非常に目立つ教会だった。
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万国民の教会の内部ではミサが行われていた(↓左)。内部にもモザイクがあり、祭壇にはイエスが最後の夜に、苦悶しながら祈ったとされる岩がある。
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↑右の写真は、オリーブ山から下りてくる道の途中にあった、主の泣かれた教会
ここでイエスはエルサレムの滅亡を予言し涙したと言われることから、1955年に建てられた新しい教会。丸みを帯びた可愛らしい形は、涙をかたどっているとのこと。

さて、以上でエルサレム観光は終了。
バスに乗って死海方面に向かう。海抜ゼロメートル地点で写真ストップ。景色が完全に乾燥した砂漠に変わっています。
これまで機会がなかったので、昨日大活躍してくれたドライバーのガブリエルさんと記念撮影(↓右)。
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海抜ゼロメートル地点から20分ほどバスで走って、クムランに到着。
そう、死海写本が発見されて有名になったクムランです。
クムランは、ユダヤ教の一派であるエッセネ派と呼ばれる男性だけの共同体があったところ。彼らは写本をして神に祈りをささげるという修道的生活を送っていたという。
彼らにとって清潔であることは非常に重要なことだったので、水のないこの砂漠の中にもかかわらず、ここクムランではミクベと呼ばれる沐浴場の跡がたくさん見つかっている。
エッセネ派(クムラン教団)は、紀元70年にローマ軍によって滅ぼされてしまったが、その前に写本を壺に入れて洞窟に隠しており、それが20世紀の死海写本発見につながったと言われている。

ちなみに、ガイドの説明によれば、彼らの写本は1枚につき5か所間違えると没になった(書き直し)らしいのだが、羊皮紙は高価だったため、その書き損じも保管してあったのだという。それらは、第4の洞窟(写本が見つかった洞窟には、発見された順に番号が付いている)で発見されている。
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昼食後、ロトの妻の塩柱を見に行く。
旧約聖書の創世記には、堕落したソドムを滅ぼそうと主の使いがやってくるが、ロトの家族だけは逃がすことにした。その際、後ろを振り返らないという約束をしたにもかかわらず、ロトの妻が振り返ってしまい塩柱になってしまった、という話があり、その塩柱がこれ(↓左)なのだという。女性の姿に見えますかねー?
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死海沿岸のリゾート地、エン・ボケックという町のホテルにチェックイン。
ホテルのプライベートビーチで死海の浮遊体験を楽しむ(↑右)。
2009年秋にヨルダン側から死海浮遊体験済みだけど、こちらはヨルダン側と違って底に泥がなく、天然の泥パックはできず(なので代わりにホテルのスパで泥パックをやってもらった。約70米ドル也)。

明日はいよいよ観光の最終日です。

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イスラエル旅行 ~6日目~ 

2011/05/05
Thu. 23:01

【6日日 : エルサレム → エンカレム → ベツレヘム → エルサレム】


昨日同様、糞門からセキュリティチェックを受けて旧市街に入場嘆きの壁を観光。
ヘロデ王が建てた第2神殿はローマの将軍ティトスによって紀元70年に破壊されてしまったが、その神殿の西側の外壁が一部残ったもの、これが現在の嘆きの壁だ。
ずっと遡れば、紀元前965年にソロモン王が大神殿を建設し、モーゼが神から授かった石版を納めた“契約の箱”を置いた神殿を、バビロン捕囚から戻った人が再建し、それをヘロデが大規模に改修して第2神殿を建てたので、ヤハヴェの神にもっとも近いとされる場所。だからこそ、ユダヤ人にとって最も重要な聖地とされているのだ。
訪れた人は、男女分かれてお祈りする。↓の写真の奥側(向かって左)が男性、手前(向かって右)が女性。男性は頭を隠さなければならず、キッパが貸し出される。
お祈りをしている人たちは真剣そのもの。観光客がずかずか足を踏み入れてよい場所なのか、躊躇してしまうほど。
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続いて、嘆きの壁(西の壁)トンネルツアーに参加。
西の壁はアラブ人が支配していた時代にその大半が地下に埋まっていたが、1967年にユダヤ人の管理下に戻って以降発掘が行われ、このトンネルが掘られたのだという。このトンネル内でも熱心にお祈りをする人がいた。
ヘロデ王の時代の城壁のには、さらに古い時代の城壁も残っており、トンネル内には貯水槽もあった(↓右)。
教会跡など至るところに地下水路や貯水槽があり、水の少ないエルサレムでは水の確保が非常に重要だったことがよくわかる。
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旧市街を出て、新市街にある“ヤド・バシェム”へ。
ヘブライ語では“記念と記憶”という意味のこの博物館は、第2次世界大戦中にドイツナチスにより虐殺された600万人ものユダヤ人たちを忘れないために建てられたもの。庭には、“日本のシンドラー”と呼ばれる杉浦千畝さんを記念した植樹もあった(↓左)。
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博物館内には、ゲットー(強制居住地区)の様子、アウシュヴィッツをはじめ強制収容所の様子などが写真や映像で展示されていたのだけれど、ワタクシが最も考えさせられたのは、ワルシャワゲットー蜂起について。
25歳前後の若者が指導したもので、「なぜ当時のユダヤ人たちは抵抗せずに収容所に行ったのか」と疑問に思う現代のユダヤ人たちからは支持されているのだという。
他方、当時のユダヤ人たちは、「一人のドイツ人を殺すより、一人のユダヤ人を救うことのほうが大事だ」と考えていたのかもしれないな、とも思った。収容所に行けば殺されるかもしれない、ただ生きて帰れる可能性はゼロではない、であればどれだけ辛くても、その可能性にかけてみよう、そう思ったのかもしれない。

こちら(→)のポスターは、ホロコーストの犠牲者をしのぶホール・オブ・ネームズの写真が使われている。
ホロコーストの犠牲者の氏名と写真をここに持って来れば、イスラエルの市民権が付与されるとのことで、まだスペースが十分に空けてあるらしい。
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続いてはイスラエル博物館の死海写本館(↓左)へ。
この不思議な形をした建物は、死海写本発見当時、写本が入っていた壺のふたの形をもとにしたものなんだとか。館内は洞窟をイメージして照明が落とされている。
この死海写本は、1947年にクムランで、ベドウィンの少年が迷子になった羊を探しているときに洞窟に石を投げたことから偶然発見されたもの。当時最古と考えられていたアレッポの写本より1,000年以上も古い、紀元前3~2世紀に筆写されたイザヤ書や詩編等の聖典で、世界最古のヘブライ語聖典とされている。
聖書学会においては20世紀最大の発見で、一大センセーションを巻き起こしたそうな。そういえば『ダ・ヴィンチ・コード』にも出てきたっけ。
ちなみにこの死海写本とアレッポ写本、15か所しか異なるところがなく、聖典がいかに正確に伝えられてきたのかの証明にもなっているらしい。
あと、ヘブライ語は子音しか表記しない文字なので、その言葉を知らないと読めない言葉なのだが(たとえば、「トマト」は「TMT」としか書かれない。なので「トマト」という言葉を知らないと「TMT」が意味を成す言葉にならない)、アレッポの写本には母音も書かれているという。その頃には、ヘブライ語は話し言葉としてはもはや使われていなかったということなのだろう。

死海写本館の近くには、第2神殿時代のエルサレムの1/50のサイズの模型(↓右)が展示されていた。一部考古学者の夢(妄想)が入っているらしいのだけれど、かなり精巧にできていて、昨日歩いたところなどが確認できた。
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イスラエル博物館自体は、考古学館やユダヤ教&ユダヤ民族史棟、美術棟など見るべきところはもっとあったのだけれど、ワタクシたちはこの2か所のみを観光。民族史棟とかゆっくり見てみたかったなー。

6-10.jpgバスに乗り、エンカレムという町へ移動。
まず、聖母マリアがヨハネの母エリザベツに会いに来たのを記念する、マリア訪問の教会(←)を訪れた。
マリアとエリザベツは親戚で、天使ガブリエルからお告げを受けたマリアが妊婦の先輩であったエリザベツを訪ねた、ということらしい。
ナザレとエンカレムってかなり距離があると思うんだけど・・・
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次に、洗礼者ヨハネ誕生の教会を観光。
ヨハネはヨルダン川でイエスに洗礼を施した人で、キリスト教においては先駆者とされている人。もともと当時の人々はヨハネこそがメシア(救世主)だと考えていたとのこと。ヘロデの妻の娘サロメによって、断首されてしまったというのは有名な話ですね。
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またバスに乗り、ベツレヘムにある、生誕教会へ。
ここはイエスが生まれた馬小屋があったとされる場所で、ビザンチン時代にはすでに教会が建てられており、6世紀のモザイクが床の下に残っていた(↓右)。
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長い行列を並び、イエスが生まれた場所(洞窟)へ。。
そこには銀色の星型が埋め込まれた床は、触ると温かくて、なにか不思議なパワーをもらった気がした。
生誕の地ということもあり、聖墳墓教会ほどの緊張感はなく、開放感があった気がした。
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なお、ベツレヘムはパレスチナ自治区にあるため、途中、国境のようなところを通らなければならなかったのだけれど、この壁に絵が描いてあったりしたこともあり、バスの中からみなで写真を撮っていると、お役人の機嫌を損ねてしまい、バスを止められてしまうというハプニングがあった。
ワタクシはバスの後ろのほうに座っていたので事態が把握できていなかったのだけれど、怒った役人は「お前らは通さない!」と言っていたらしい。そこを、ドライバーのガブリエルさんが「僕が写真撮っていいと言ってしまった」と謝ってくれ、なんとか丸く収まったんだとか。ドライバーがユダヤ人でなくアラブ人だったら、もっと大変なことになっていたかも・・・とは事後のガイドの弁。
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6-20.jpg以上で本日の観光は終了。

この後、ダイヤモンド研磨加工のビジターセンターを訪れ、ダイヤモンドの等級の説明などを聞いた。
ワタクシは買う気はまったくなく冷やかしで行っただけなのだけれど、同じツアーに参加していた女性陣数名は購入していた。


最後に小ネタ。ベツレヘムで見つけたお茶目な看板(←)です。

明日はエルサレムを発ち、死海へ移動します。

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イスラエル旅行 ~5日目~ 

2011/05/04
Wed. 23:58

【5日日 : エルサレム】


本日は終日エルサレムの観光。
城壁に囲まれているエルサレム旧市街に入る門は8つあり、そのうちの1つ糞門(かつては排泄物を運び出すために使われていたのでこの名がある)からセキュリティチェックを受けて城壁内に入場。
糞門でのセキュリティチェックは、ユダヤ人が管理する地区(嘆きの壁がある)につながる列と、ムスリムが管理する地区につながる列の2列がある。今朝はムスリムが管理する神殿の丘の観光をするので、ワタクシたちはムスリム側のチェックを受けた。翌日ユダヤ側のセキュリティを受けたけれど、ユダヤ側のほうがチェックが厳しかったように感じた。

神殿の丘は、古くはソロモンの神殿があった場所とされ、ダビデが神の契約の箱を置いた場所とも言われている。
現在残っている神殿の土台は、ヘロデ王が建てた第2神殿のもの。
神殿の丘のもっとも高いところに建っているのが、岩のドーム。預言者ムハンマドが、天使を従え天馬に乗って昇天したと言われている聖岩を囲んでいる。とはいえ、残念ながら、現在は岩のドーム内部はムスリム以外入場できないので、外から眺めるのみ。
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ちなみにユダヤ教徒は、この岩のドームのある場所を、アブラハムが我が子イサクを神に捧げようとしたモリヤの丘だとしている。
うちのグループのガイドが、この土台は第2神殿のものだ、第2神殿はこんなローマ式の建物だった、ヘロデがローマ式の神殿を建てたことに良い顔をしなかったユダヤの民も多かった、などと本を見せながら説明していると、ムスリムの警備員に怒られてしまった。
イスラム教徒の聖地で、ユダヤのヘロデ王の神殿の絵などを見せるな、ということらしい。気持ちはわからないでもないけれど、この不寛容さはどうもなじめない。

岩のドームの正面に建っているのが、エル・アクサ寺院(↓左)。こちらも多くのムスリムが礼拝に訪れていた。
神殿の丘を少し過ぎると、イスラム教の神学校があり、男子学生たちがバレーボールをして遊んでいた。さきほど注意されてピリピリしていた心も、これで少し和んだ。
獅子門(ライオン門。↓右)を通っていったん城壁外へ。
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神殿の丘の観光の後は、イエスが十字架を背負って歩いたという“ヴィアドロローサ(悲しみの道)”を歩く。
イエスが裁判で有罪とされたローマ総督ピラトの官邸から、磔にされたゴルゴダの丘までの全長約1kmの道には、第1留から第14留までのスポットがあり、巡礼者たちはイエスの苦難を追体験しながらそれらを辿ってゆく。
↓右は、イエスが十字架の重みに耐えられずつまづき手をついたとされる岩。
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↓左は、第9留(イエスが3度目に倒れたところ)の近くにあるコプト教会の入り口。
コプト教会の隣にはエチオピア正教会の教会もあり(↓右)、シバの女王の絵があったりして独特の雰囲気があり興味深かった。
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ヴィアドロローサの終着点、聖墳墓教会に到着。
↓右は、イエスが十字架から降ろされ香油を塗られた場所。熱心なキリスト教徒たちがお祈りをしていた。
第10留から第14留まではこの教会内に入っている。
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↓がイエスの墓。大理石の彫刻で美しく飾られている。
現在は小さな聖堂になっていて、奥に墓石が納められている。内部は写真撮影禁止。
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5-12.jpg以上で、ヴィアドロローサの観光は終了。
やっぱり聖書の知識がないとなぁ・・・と思い知らされた。

この後、最後の晩餐の部屋(現存するものは十字軍時代の建物で、モスクとして使われたこともあった)、ダビデ王の墓(男女別に分かれて入るシナゴーグ。非常に埃っぽかった)などを観光。

←はダビデの塔
入場はしなかったけれど、内部は歴史博物館になっているらしい。


昼食後は、南の壁考古学公園へ。
南の壁は、ヘロデ王の時代に神殿に通じる“フルダ門”があったところ。この階段を通ってみな神殿に向かったのだが、ゆっくり心を整えさせるため、上りづらい段差の階段になっていたのだという。
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この考古学公園では、城壁の上を歩くこともできる。その城壁からは、エルサレム発祥の地と言われるダビデの町の遺跡なども見ることができた。

続いて訪訪れたのは、鶏鳴教会(↓)。
もとは祭司カヤパの屋敷で、イエスはここの地下牢獄に一晩留置され、その翌日ピラトの裁判を受けたのだという。
また、弟子のペテロが、イエスの予言どおり、鶏が鳴く前に三度「イエスのことを知らない」と嘘をついたのもこの庭だったのだとか。この庭には、2000年前のものと確認されている石段(↓右)がある。2000年前といえば、イエスやペテロがいた時代。彼らがこの階段を歩いた可能性も高い?!
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夕方は、エルサレムの新市街を散策。
19世紀後半から各国のキリスト教団による施設が多く建てられた場所で、ヨーロッパっぽい雰囲気。
メインストリートにはカフェやみやげもの屋、洋服屋さんなどが並んでおり、死海コスメのお店でばらまき土産用のハンドクリーム(セール品)をゲット。こういうふつうの店でも、米ドルで買い物ができた。
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夜は、オリーヴ山からエルサレムの夜景を楽しむ。
カメラの性能がイマヒトツ、しかも三脚なしなのであまり美しい写真ではないけれど、ライトアップされた岩のドームは非常に印象的でした。
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明日も引き続きエルサレム観光です。

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イスラエル旅行 ~4日目~ 

2011/05/03
Tue. 23:55

【4日日 : ガリラヤ湖畔(ティベリヤ) → ゴラン高原 → エルサレム】


4日目の今日はゴラン高原の観光。
午前中はバニヤスの遺跡(↓右)を訪れ、緑の中を2時間弱ほどハイキング
バニヤスとは、ギリシャ神話に登場する“パン”の神様を祭った遺跡があるところで、この神様は気性が激しく“パニック”の語源にもなったのだという。
ここは豊かな水に目を付けたヘロデ王の息子ピリポが開発した町でもあり、ピリポの息子アグリッパ2世の宮殿跡(↓)、水の力を借りて小麦をひいた水車小屋など、ぽつぽつと見るところがあった。
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4-3.jpg春の野花が咲く緑の道をずんずん歩き、ハイキングの目的地の滝に到着。
雪解けの水がたっぷりで、かなりの水量があった。

ゴラン高原は第3次中東戦争でイスラエルがシリアから奪ってからも、両国がその領有をめぐって争っているけれど、この水源がなんとしても欲しいのだろうなぁ・・・・


ハイキング後は、ゴラン高原にある“Golan Heights Winery”へ。
ここゴラン高原は高度差があるため20種類以上のブドウが栽培されており、ここだけで40種類ものワインを生産しているとのこと。
このワイナリーで働いている人はみなコシェルを守っている人たちで、ここのワインの大半は厳格なユダヤ教徒によって消費される(米国などへの輸出もされている)のだという。
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4-6.jpgワインの工場見学をした後は、お待ちかねの試飲。
かなり広い試飲コーナーがあり、担当のお姉さんがとても丁寧にワインのテイスティング方法を説明してくれた。

1) まずは色を見る。白ワインの場合はオレンジ色のものが混じっていないか、赤ワインの場合は茶色いものが混じっていないか、がわかりやすいチェックポイントだそう。
2) 次は、香りをチェック。くるくるとグラスを回し、香りを立てるのがポイント。
3) 最後に、少し口に含み、うがいする要領で口全体に行きわたらせ、飲み込んだら息を吸いこみ香りも感じる。

この3ステップが正しいテイスティングのやり方とのこと。

試飲したのは、オーガニックのブドウを使ったYardenのシャルドネ(白)、Golanのカベルネ・ソーヴィニヨン、Yarden Musctという白のデザートワイン、の3種類。
おみやげにワイングラスをもらい、Yardenのカベルネ・ソーヴィニヨンを1本購入した。

ここからバスで3時間ほど走り、エルサレムへ移動。
車窓を見ていると、水と緑が豊かな北部と、乾燥した茶色の南部の違いがよくわかった。

明日からはいよいよ、エルサレムの観光が始まります!

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イスラエル旅行 ~3日目(後編)~ 

2011/05/02
Mon. 23:53

【3日日 : ハイファ → ナザレ → カナ → ガリラヤ湖畔(ティベリヤ)】


3-12.jpgさてさて、今日のランチは、“セント・ピーターズ・フィッシュ(聖ペテロの魚)”。

聖書によると、ペテロがガリラヤ湖でこの魚を釣り上げたところ、この魚が銀貨を口にくわえていたのだという。

ガイドの話によれば、この魚、メスがオスの口の中に卵を産みそこで孵化させるという不思議な性質をもっていて、そこで育った稚魚たちに“父離れ”させるために、オスは砂利などを口に含むことがあるという。なので、銀貨を加えていたという話も信憑性があるとのこと。
ちょうどコインがあったので、口に加えさせてみました。良い子の皆さんは真似をしないように!(笑)

味のほうは、きわめて淡白。塩とレモン汁だけなのでちょっぴり飽きたけど、フツウにおいしかった。
付け合せは大量のじゃがいもで、これぞホントの“フィッシュ&チップス”?!
みんな「醤油が欲しい」と言っていて、実際にかけている人もいた。
通常のツアーだったら、添乗員が醤油やらドレッシングやらを日本から持ってきて食事時に出したりするのだけれど、ここイスラエルではそれらが用意されておらず、添乗員の怠慢かと思いきや、実はコシェルがあるため、レストラン側が自分たちで調味料などを持ち込むことを許さないらしい。なるほどねー。

昼食後は、ティベリヤ湖畔に移動、最初に“慰めの村”を意味するカペナウムを訪れる。
ここは30歳でナザレを去ったイエスが住んだところとされ、ここを拠点にティベリヤ湖畔で宣教活動を始めたとされている。
2階建ての会堂シナゴーグの跡が残り、周囲には柱に残るレリーフなどが展示されていた。
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3-16.jpg続いては、山上の垂訓教会へ。湖を見下ろす場所に建てられたこの教会は、玄武岩でできていて黒っぽく、かなりセンスがいい。

この教会の裏から湖のほうに降りていく山道があり、20分ほど歩くと、ペテロ首位権の教会(↓)に着く。
特別景色がきれいなわけでもなく、非常に暑かったこともあり、ここで疲れがどっと出てしまった(汗)。

ペテロ首位権の教会は、イエスが漁師ペテロとアンデレの兄弟に会ったとされる場所に建てられた教会。外観はとっても可愛らしい。
この教会の祭壇は、“メンザ・クリスティ(キリストの食卓)”と呼ばれる岩でできており、この岩の上で、復活後のイエスが弟子に食事を与えたとされている。
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続いて訪れたのは、パンと魚の奇蹟の教会
イエスが少年が差し出した2匹の魚と5切れのパンを増やし、集まった聴衆5,000人の腹を満たしたという聖書のエピソードにちなんだ教会。
モチーフとして非常に有名な“パンと魚のモザイク”は祭壇近くの遠いところにあり(ロープが張ってあって近くにいけない)、びっくりするくらい小さかった。なので写真はイマヒトツ・・・
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3-21.jpgということで、このメインのモザイクにはややがっかりしたものの、他にもたくさん美しいモザイクが残っていた。
蛇(虫?)を取り合う鳥って、教会にふさわしくない絵柄な気がしたんだけど、これもなにかエピソードがあるのかしら?


3-22.jpg盛りだくさんの本日の観光のラストを飾るのは、イエスの時代のものと考えられているガリラヤ・ボート
1986年の1月、ガリラヤ湖で2人の漁師が引き上げたもので、ゲノサール・キブツ内の博物館に展示されている。

ちなみに“キブツ”とは、イスラエルの集産主義的共同体。主に灌漑・農業を営んでおり、建国時のユダヤ人入植に大きな役割を果たしたが、今は若者のキブツ離れが進んでいるとのこと。
ホテルやレストランを経営しているところも多く、この旅行中、何度かキブツのレストランで昼食をとることがあり、お世話になった。

ガリラヤ湖畔の町ティベリヤのホテルで宿泊。
明日はゴラン高原を訪れます。

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イスラエル旅行 ~3日目(前編)~ 

2011/05/02
Mon. 13:50

【3日日 : ハイファ → ナザレ → カナ → ガリラヤ湖畔(ティベリヤ)】


3日目の今日は、ハイファ観光からスタート。
ハイファも地中海に面する港町で、テルアビブ、エルサレムに次ぐイスラエル第3の大都市。
美術館や博物館も多く学問がさかんで、自由な空気が流れている町とのこと。
バスで市街を少し走ったのだけれど、おしゃれなカフェが並ぶ通りなどがあり、洗練された雰囲気だった。

写真手前の美しく整えられた庭園は、世界遺産にも指定されているバハイ庭園
バハイ教は、1844年にイランのシラーズで生まれた宗教で、異教としてペルシャを追われ、この地に本拠地を構えたとのこと。世界平和、男女平等、教育の充実などが基本的な教えで、近年はカナダを中心に信者を増やしているらしい。
残念ながらバハイ教徒でない人は庭園内に入ることはできず、町を見下ろせるカルメル地区から庭園を眺めるのみ。

庭園の向こうに見えるオレンジ色の屋根屋根は、ジャーマン・コロニーと呼ばれている地区。
ガイド曰く、イギリスの植民地になる前に、イスラエルのユダヤ人はドイツから多くを学んだとのこと。
そうそう、イスラエルの農業といえば、“スターフルーツ”などかんきつ類の栽培が盛んだけれども、それもドイツ人が始めたらしい(あくまでもガイド情報なのでどの程度正確かは不明)。

ジャーマン・コロニーの向こうはもう海。
坂道の多い港なので、“イスラエルのサンフランシスコ”とも言われるんだって。

簡単だけどこれでハイファの観光は終了。
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またバスに乗り、世界中から巡礼にやってくるナザレの受胎告知教会へ。
ここは、聖母マリアが天使ガブリエルから受胎告知を受けたとされる洞窟の上に、キリスト教を国教としたローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナによって336年に建てられた教会が起源
その後どんどん規模が拡大していき、今の教会は1969年に建てられた新しいものだが、建物の中央の祭壇付近には、岩の洞窟がむき出しになっている。
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教会内部には各国から贈られたマリア像のモザイク画が飾られており、日本のものはルカ長谷川の作品。日本らしく着物で、袖の部分には本物の真珠が使われている。とても美しいので日本人以外の人からも好評らしい。
隣はアメリカ合衆国のもの。かなり派手で、こちらもお国柄が良く出ている。
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3-6.jpg 3-7.jpgこちらはかなりお茶目でワタクシのツボにはまった天使ガブリエルと聖母マリアの像
河童みたいなガブリエルとマリアの顔もユーモラスだし、何より、
「おいおい、ちょっとマリア。お前はもうすぐ処女のまま子どもを身ごもるが、驚くでないぞ。」
「ええーっ!?何をおっしゃいますの、天使さま」
みたいなやりとりが想像できて楽しい。

受胎告知教会の隣にある聖ヨセフ教会も観光。こちらはヨセフが仕事をしていたという場所の跡に建てられたのだという。

この後再びバスに乗り、カナという町へ移動、カナの婚礼教会を観光。
イエスが最初に起こした=マリアから婚礼中にワインがなくなったと聞いたイエスが、水をワインに変えたという=奇蹟、“カナの婚礼”の舞台となったところ
その奇蹟を記念して建てられたこの婚礼教会の祭壇には、聖書が伝える話のとおり、6つのカメが祭られている。
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3-10.jpgこの教会、昔シナゴーグがあった場所に建てられたとのことで、地下にその跡も見ることができた(←)。
受胎告知教会もそうだけど、今イスラエルに残っている聖書ゆかりの教会はみな新しく20世紀に建てられたものばかり。ただ、昔シナゴーグがあったとか、ビザンチン時代の教会があったとかいう場所に建てられているので、その跡も見ることができるところが多い。こういうのを見ると、キリスト教の歴史の長さを思い知らされる。

婚礼教会の前には小さなみやげもの屋があり、そこには赤ワインが売っていた。1本12米ドル也(→)。もちろんパッケージはカナの婚礼の奇蹟にちなんだもの。味はというと、デザートワインでとても甘かった。
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これで午前中の観光は終了。
ランチ後は、ガリラヤ湖畔にあるイエスゆかりの諸教会を訪ねます。

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イスラエル旅行 ~2日目~ 

2011/05/01
Sun. 23:47

【2日日 : テルアビブ → カイザリア → メギド → アッコー → ハイファ】


テルアビブから北上し、最初の観光はカイザリアの遺跡
ローマ帝国と友好関係を築いてこの地を治めたヘロデ王が、まったく新しい港として作ったのがこのカイザリア。
キリスト教徒にとっては、パウロがローマへの宣教に発った港として重要なところ。

ワタクシたちを出迎えてくれたのは、今でもコンサートなどで使われている(日本の相撲巡業もここでやったことがあるんだとか)、ローマ式の半円形劇場
いやぁ、いかにも地中海らしい青空ではありませんか~!
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この遺跡からは“ピラトの石碑”というものが発見され(ここにあったのはレプリカなので写真は撮らず)、当時は大ニュースになったのだとか。というのも、ピラトというのはイエス・キリストに死刑を宣告したと言われるローマ総督で、その人の名が刻まれた石碑があるということはピラトが実在することが証明され、これによって、イエス・キリスト自体の存在もより明確になった、というのが理由らしい。

↓の写真中央の道みたいに見えるのは、ヘロデ王の戦車競技場の跡。でもこの競技場、あまりに海に近くて浸水することがあり、競技場としては使えなかったんだとか。
右奥のほうに見えているのは、ぐぐーっと時代が下って、十字軍時代の要塞跡。港町ということで、十字軍もここに目を付けたのでしょう。
春の花がまだ少し残っていて、海風も気持ちよく、遺跡めぐりにはサイコーの天候でした。
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カイザリアを出てバスで少し北上すると、ローマ時代の見事な水道橋が残っている。
ヘロデ王が水の少ないカイザリアに水を引くため建設したもので、カルメル山から続いているとのこと。農業用と飲料用、2本あったとのこと。
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2-5is.jpgこの後しばらくバスに乗って内陸に向かい、メギドという遺跡を訪れた。
ここは世界最終戦争“ハルマゲドン”の語源になったところ。“メギドの丘”の意味の“ハル・メギド”がなまってそう呼ばれるようになった。ここメギドは非常に古い町であり(後述)、交通の要所としていろいろな民族がぶつかり合い、戦いも多かったために、「ヨハネの黙示録」によって世界最終戦の舞台とされたのではないかと考えられている。

このメギド、紀元前4,000年ごろ、青銅器時代から町がつくられ、支配者が変わるたびに古い町が埋められその上に新しい町がつくられ、それを何度も何度も繰り返したために丘になったという。その様子を動く模型が説明してくれていた(→)。

↓の左の写真は、丘に登る階段。一番低いところにあるということは、つまり一番古い時代のもの、ということになる。およそ3,000年前のものだとのこと。
ずんずんと丘を登ると、ソロモン王時代の宮殿跡や、エズレル平野が一望できる展望台、馬舎跡などがあった。
↓の右の写真は、地下水路へのトンネル(を上から取ったところ。階段は観光用に作られたもの)。相当深くまで掘ってあったのにも驚いたけど、この水路の底に本当に水が溜まっていたのにはもっと驚いた
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メギドの観光後は再び海沿いに戻り、十字軍時代に栄えたアッコーの町を観光。
この町も港町で、古くは2,000年間から町があったとのこと。
最初に訪れたのは、12世紀にヨハネ騎士団が築いた要塞(↓左)。クラック・デ・シュバリエに比べるとずいぶん地味な印象は否めない。
その要塞に残っていたユリの紋章(↓右)は、フランス王家とのつながりを示しているのか?それとも、3枚の花びらが三位一体の象徴であり、「信頼、知恵、騎士道精神」を表すという考え方を示しているだけなのか?
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こちら(↓左)は騎士の広間。アーチ状の天井とそれを支える柱が十字軍時代っぽい。
要塞らしく、地下通路があり、左右どちらに進むかの分岐点が4か所も設けられていたとのこと。それを知らない敵が侵入しても、無事出口にたどり着ける確率は1/16になるというわけだ。↓右の写真はその通路の出口。出たところは病院の機能をもつ部屋だったという。
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要塞の観光後は、旧市街を散策。十字軍が去ってからはアラブ人が住む町となり、今のアッコーはアラブ人の町。
オスマン・トルコ時代の隊商宿(キャラバン・サライ)や現在もにぎわいを見せるスーク(市場)を観光。
スークをぶらぶらしておみやげにドライイチジクを購入。中近東ではポピュラーなハルヴァ(胡麻ペーストのお菓子)もよく売られていた。
あと、のどが渇いたこともあり、ざくろの生ジュースでのどをうるおした。しぼりたてのざくろの生ジュースが10シェケル(260円)、これは日本では考えられない安さ。
(※ちなみにイスラエルの物価はヨーロッパ並み。軍事力維持・増強のためか、日本でいうところの消費税(付加価値税)も16%と高いし・・・)

最後は港町らしい写真を一枚。遠くから見ただけだけど、灯台跡かな?
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2-14.jpgこの後海沿いを北上し、ハイファという町のホテルにチェックイン。
夕食はホテルのレストランだったのだけれど、明日5月2日が「ホロコースト記念日」であるため、ホテルではアルコールを出してくれず。ユダヤ教ではいわゆる「イヴ」、前夜を非常に重視する慣習があるとのこと。

幸いホテルの前にコンビニのようなスーパーがあり、ビールを買うことができたので、部屋で乾杯する。1本10シェケル也。
あんまり美味しいビールではなかったけれど、一応、イスラエルに入ってからの“最初の晩餐”でしたから(笑)。

食事の話が出たので、ユダヤ教の食餌規定“コシェル”について紹介。
もともとユダヤ教では“清い動物”と”そうでない動物”を区別する考え方があり、次のようなルールがある。

・ 4つ足の獣のうち蹄が全く分かれ、反芻をするものは食べてもよい。 (ブタはダメ!!!)
・ 海や川に住む生き物で、鱗のないものは食べてはならない。 (エビやカニ、貝類もダメ!!!)
・ 猛禽類の鳥は食べてはならない。
・ 乳製品と肉類を一緒に食べてはならない。 (チーズバーガーとか、サラミの入ったピザとか問題外!!!)
・ 肉は血抜きをしなければならない。
・ 自然に死んだ動物を食べてはならない。


この中で一番影響があったのは、「乳製品と肉類を一緒に食べてはならない」というもの。
ホテルの朝食バッフェがどんなにゴージャスで充実していても、牛乳、チーズやヨーグルトが必ず出るから、ベーコンやハムがまったく並んでいない・・・その代わりに、塩漬けにした魚とか出てるけど、それじゃぁねぇ・・・

ガイド曰く、ユダヤ教徒は、黒い帽子、黒いスーツを身に着けひげともみあげを伸ばしている“正統派”、キッパ(頭に乗せる小さな帽子)をかぶり食餌規定、割礼、安息日の3つは必ず守る“保守派”とその他の“世俗派”の3グループがあり、このコシェルを守っているのは“正統派”と“保守派”の2グループだそう。


明日、ナザレやカナなど、聖書、イエス・キリストにまつわる諸教会を訪ねます。
この日の夜は、教会がいっぱいで全部覚えられそうにないなぁ・・・という一抹の不安を覚えながら、深い深い眠りについたのでした。

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2011-05