Small Talk 2

旅の記録 + ちょこっと日常のあれこれ を綴ります

【マルタ&シチリア旅行:5日目(その2)カルタジローネ&シラクサ】
(マルタ → ポッツァーロ(シチリア) → モディカ → ラグーサ → カルタジローネ → シラクサ)


さて、やってきたのはこちらも世界遺産ヴァル・ディ・ノート後期バロックの町のひとつ、カルタジローネ
この町は陶器の産地として非常に有名で、先史時代から陶器作りが行われていたのだとか。ギリシャ時代に陶器の生産が盛んになり、9世紀のアラブ時代に入ると、アラブ人によりマジョルカ焼きの技術が導入され、イタリアにおけるマジョルカ焼きの技術はここカルタジローネからイタリア各地へと伝わったとのこと。
車を降りてすぐのところにあったサン・フランチェスコ橋も、陶器で飾られていた(↓左)。
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この町の最大の観光スポットは、通称ラ・スカーラ、サンタ・マリア・デル・モンテ大階段(↑右)。
カルタジローネの旧市街と新市街を結ぶために造られた142段にも渡る階段で、垂直部分には一段一段、異なる柄のタイルが飾られている。
タイルの柄はさまざまで、魚や花、唐草模様といったものから空想上の動物?など何やら奇妙なものもちらほら。。。(↓)
階段の踏み石の部分はエトナ山の溶岩で、タイルが崩れないように垂直部分をすっぽり覆う、つまり少し出っ張りのある形状になっている。
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こちら(↓左)は階段を登りきったところ=サンタ・マリア・デル・モンテ教会前=からの町の眺め。
陶器の町らしく、町のところどころに陶器による装飾が見られた(↓右)。
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ラ・スカーラの両脇には、陶器屋がたくさん並んでいて、ウィンドウショッピングも楽しい(ただし、ワタクシが訪れた時間帯はシエスタ・タイムだったため、営業中の店は少なかったが)。
お店の中で絵付けをやっている人がいたので、撮影させてもらう(↓)。
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別の店先に飾ってあったもの(↓左)。店主が日本のアニメ好きなのか!?
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こちらは、トンド・ベッキオ(↑)。町中にある小さな演劇場というか、演説などに使われていたらしい。

さて、チャーター車を存分に活用して、本日の最終目的地であるシラクサへ。
シラクサは、ギリシャ(コリント)の植民都市として建設され、その後はアテネと並ぶほど栄えた古代都市。アルキメデスの出身地でもある(太宰治の『走れメロス』の舞台でもある)。
現在の新市街にあたるところには古代ギリシア・ローマの遺跡が残り、旧市街のオルティージャ島にはバロックの建築が立ち並ぶ。古代遺跡があることから、ここシラクサは200年以上もヨーロッパの”観光都市”としての歴史があるという。
siracusa1.jpgシラクサで最初に訪れたのは、新市街にあるネアポリス考古学公園
ここの見どころは、シチリア内で最大規模を誇るギリシア劇場(←)。
紀元前3世紀には1万5千人もの観客を収容できたとのこと。現在でも、夏には古代劇やコンサートなどがここで開催されていて、ちょうどシーズンに入る時期だったせいか、工事・整備の真っ最中だった。

siracusa2.jpgこちらは”天国の石切り場”と呼ばれるところ。
紀元前5世紀の都市拡大の際に建物を造るため、多くの石がここから切り出され、石切り場の一番深いところは、高さが45mにもなるという。

siracusa3.jpgsiracusa4.jpg天国の石切り場の奥にある、“ディオニュシオスの耳”。石を切り出した際にできた洞窟で、高さは60m以上、奥行きも20m以上ある。
洞窟の形が人の耳の穴の形に似ていることから、1608年にここを訪れた画家のカラヴァッジョが名付けたといわれている。この洞窟の中はとても音が響くので、僭主ディオニュシオス一世が捕らえた政敵をここに監禁し、その者たちの話を盗み聞きしたという伝説が残っている。
 
siracusa5.jpgこちらは、古代ギリシャではなく古代ローマの時代の円形闘技場
海戦の催しのときに排水につかった水路や、動物(猛獣)たちが通ったであろう舞台下の通路などが残っていて、なかなか興味深かった。

ネアポリス考古学公園の観光は以上で終了。
この後、宿泊先であるオルティージャ島内のB&Bにチェックイン。ドライバーさんに別れを告げ、ここからは島内を徒歩で観光。
町中に残るアポロ神殿跡(↓左)と、アルキメデス広場にあるアルテミスの噴水(↓右)。
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かなり立派なドォーモ(内部の様子は6日目(その1)へ)、その隣にあるサンタ・ルチア・アッラ・バディア教会。この教会内には、カラヴァッジョの『聖ルチアの埋葬』があるのだけれど、開場時間が短く、ワタクシは今回は見ることができず。
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sirakusa10.jpgこちら(→)は、アルトゥーザの泉
海沿いにあるが真水が湧き出ていて、パピルスが茂っている。そのせいか、シラクサの土産物屋には、パピルスでできた紙のしおりやはがきなどが売られていた。

これで長く盛りだくさんの5日目は終了。
時間の関係で行くのは難しいと思っていたカルタジローネにまで足を延ばせてよかった。
ドライバーさん、長時間に渡り、どうもありがとうございました!!!

明日はシラクサからタオルミーナへ向かいます
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チュニジア旅行 ~5日目(その2)~ 

2012/07/12
Thu. 23:44

【5日目(その2):ケロアン → ナブール → ケルクアン → ガマルタ】


美しいシディ・サハブ霊廟の観光を終え、バスに乗り込もうとしたところ、目の前に飛び込んできたのはディズニーの有名キャラクターのネズミさん。しかしよく見ると、『KIDS LAND』と書いてある(↓左)。あらら、こんなところにまで・・・(苦笑)。
バスの中で、ガイドさんが各参加者の氏名をアラビア文字で書いたもの(書道、カリグラフィ)を配ってくれた。ワタクシの名前、読み上げられた時におかしかったので、おそらく間違ってるかと思うけど(間違ってるからこそ?)、こんな風になるそう(↓右)。
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続いては、陶器の産地として知られるナブールへ。
17世紀にスペインを追われたアンダルシア人たちがここに定住し、緑や黄色のうわ薬を使った陶器が作られるようになったのだという。
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5-16t.jpgナブールのスーク(市場)は、歩行者天国になっていて、道の左右にはずらりと陶器の店、土産もの屋が並んでいた。少し自由行動があったのでショッピングタイム。
とはいえ、荷物になるし、割れ物だし、実用的な器を買う気はゼロのワタクシ。気に入ったタイルとか絵皿があれば買おうかな~程度で店を覗いていたら、あっという間に時間が経ってしまった。こちらのスークは、かなりのにぎわいを見せていたのだけれど、海外からの観光客よりも国内からの観光客のほうが多かったように思う。
ナブールの陶器はチュニジアの人たちにはとてもなじみのあるもののようで、ワタクシたちのバスのドライバーさんも、「ナブール行くならあれとこれと買ってきて!」と奥さんに頼まれでもしていたのか、自由時間中に大量に買い物をしていたのには笑ってしまった。

5-18t.jpgナブール観光の次は、古代フェニキアの都市遺跡の残るケルクアンへ。
古代フェニキア人の都市は、ローマによって破壊されてその上にローマの都市が建てられているところが多いので、その姿が残っているところは非常に少ないのだけれど(カルタゴが好例)、ここケルクアンは、ローマによって滅ぼされる前に何らかの理由によって=ガイド曰く、ギリシャとの戦争による敗戦とのこと=棄てられたため、紀元前4~3世紀ごろのフェニキアの都市の遺構がそのまま残っている、貴重な遺跡なのだという(→。世界遺産にも登録されている)。

ローマの都市遺跡のように、大きな構造物もなく(アーチの技術がまだ無かったらしい)、発掘されずに雑草が生えたままになっているところも多いけれど、発掘が終わったところからは、この町には石工、左官、陶工、ガラス職人など工房の跡が見つかっており、職人の町として栄えていたことがわかったのだという。

こちら(↓左)は、床のモザイクが残っている部屋。後のローマのモザイクとは異なり、かなりシンプルなものだけれども、フェニキア人が信仰していた豊穣の神タニトのモザイクがくっきりはっきり残っていて興味深い(↓右)。
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その他、浴場の跡や、そこからスフィンクスが見つかったため(7日目の日記にて紹介)“スフィンクスの家”と呼ばれるようになった家の後などもあった。
遺跡の入り口にある小さな博物館には、当時の都市の様子が模型で示されていたり(↓左)、発掘された彫刻などが展示されていた。彫刻は、それと比べると精巧ではないけれど、ギリシャの影響を受けているように見えた(↓右)。
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ここで、フェニキアについてちょっと解説。

・ フェニキアは、もともとは地名で、現在だとレバノンのあたりを指す。レバノン杉で優れた船を作り、紀元前15世紀ごろから古代ギリシャが台頭する頃まで、エジプト、メソポタミアの文明圏の海上交易で繁栄、地中海世界の主役だった。旧約聖書に出てくるシドンやティルス、ビュブロスといった都市国家も、フェニキア人の都市。
・ フェニキア文字は、アルファベットの元になったことで知られる。
・ 海上交易のため、地中海の沿岸に植民都市を建設。イベリア半島から北アフリカまでその範囲に含まれ、紀元前9世紀ごろ建てられたカルタゴは特に有名。本拠地(レバノン)で居場所を失った後も、紀元前1世紀にローマに滅ぼされるまでカルタゴは大いに繁栄した。
・ フェニキア人の信仰の中心は、メソポタミアのバアル神と地母神アシュタルテ。この女神アシュタルテは、カルタゴではタニト神と同一とされる。ちなみに、アシュタルテはギリシャでは美の女神、アフロディーテとなったとのこと。
・ ローマ人は、カルタゴのフェニキア人たちのことをポエニと呼んでいた。第1次~3次に渡るローマとの戦争、ポエニ戦争はあまりに有名。


あー、レバノンにも行ってみたいんだよなぁ・・・(とこれを書きながら強く思う)。


この日の観光は、ここケルクアンで終了。
チュニスの北にあるリゾート地、ガマルタへ移動し、リゾートホテルへチェックイン。
明日は、チュニジアで最も保存状態の良いローマ遺跡ドゥッガや、チュニスの誇るバルドー博物館などを観光する予定です。

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