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旅の記録 + ちょこっと日常のあれこれ を綴ります

イスラエル旅行 ~7日目~ 

2011/05/06
Fri. 23:10

【7日日 : エルサレム → クムラン → 死海(エン・ボケック)】


朝いちばんに、オリーブ山からエルサレム旧市街を展望
ここでぼーっと町を見ながら、城壁に囲まれたこのエルサレムは、聖書やその後の歴史をよく知らなくても、その町の歴史の重みが感じられる、不思議な魅力のあるところだなぁ、、、などと思った。
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オリーブ山を下り、ゲッセマネの園(↓左)に到着。
“ゲッセマネ”とはヘブライ語で“油絞り”の意味で、この場所にはイエスの時代からオリーブが植えられていたのだという。
ゲッセマネの園の隣にあるのが、万国民の教会(↓右)。
入り口の上部の壁には美しいモザイクががあり、遠くからでも非常に目立つ教会だった。
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万国民の教会の内部ではミサが行われていた(↓左)。内部にもモザイクがあり、祭壇にはイエスが最後の夜に、苦悶しながら祈ったとされる岩がある。
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↑右の写真は、オリーブ山から下りてくる道の途中にあった、主の泣かれた教会
ここでイエスはエルサレムの滅亡を予言し涙したと言われることから、1955年に建てられた新しい教会。丸みを帯びた可愛らしい形は、涙をかたどっているとのこと。

さて、以上でエルサレム観光は終了。
バスに乗って死海方面に向かう。海抜ゼロメートル地点で写真ストップ。景色が完全に乾燥した砂漠に変わっています。
これまで機会がなかったので、昨日大活躍してくれたドライバーのガブリエルさんと記念撮影(↓右)。
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海抜ゼロメートル地点から20分ほどバスで走って、クムランに到着。
そう、死海写本が発見されて有名になったクムランです。
クムランは、ユダヤ教の一派であるエッセネ派と呼ばれる男性だけの共同体があったところ。彼らは写本をして神に祈りをささげるという修道的生活を送っていたという。
彼らにとって清潔であることは非常に重要なことだったので、水のないこの砂漠の中にもかかわらず、ここクムランではミクベと呼ばれる沐浴場の跡がたくさん見つかっている。
エッセネ派(クムラン教団)は、紀元70年にローマ軍によって滅ぼされてしまったが、その前に写本を壺に入れて洞窟に隠しており、それが20世紀の死海写本発見につながったと言われている。

ちなみに、ガイドの説明によれば、彼らの写本は1枚につき5か所間違えると没になった(書き直し)らしいのだが、羊皮紙は高価だったため、その書き損じも保管してあったのだという。それらは、第4の洞窟(写本が見つかった洞窟には、発見された順に番号が付いている)で発見されている。
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昼食後、ロトの妻の塩柱を見に行く。
旧約聖書の創世記には、堕落したソドムを滅ぼそうと主の使いがやってくるが、ロトの家族だけは逃がすことにした。その際、後ろを振り返らないという約束をしたにもかかわらず、ロトの妻が振り返ってしまい塩柱になってしまった、という話があり、その塩柱がこれ(↓左)なのだという。女性の姿に見えますかねー?
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死海沿岸のリゾート地、エン・ボケックという町のホテルにチェックイン。
ホテルのプライベートビーチで死海の浮遊体験を楽しむ(↑右)。
2009年秋にヨルダン側から死海浮遊体験済みだけど、こちらはヨルダン側と違って底に泥がなく、天然の泥パックはできず(なので代わりにホテルのスパで泥パックをやってもらった。約70米ドル也)。

明日はいよいよ観光の最終日です。
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